新年早々、石川県能登地方を震源として大きな地震があった。さらに昨日2日には羽田空港で飛行機事故があった。

 

 お悔やみ、そしてお見舞いを申し上げます。

 

 だが、そんな風に言葉を並べても私は普通のお正月の日々を過ごしている。何もしていない(できない)自分がいる。

「ああ、心を痛めていることだろう」

「寒い中、不自由な生活を強いられているだろう」

そんなことを思うだけ。こたつに入って、テレビも見るし、お餅も食べるし、孫と遊んで笑いもする。

 

 その昔、私は台風がやってきて店に雨水が入り込み、その水位が上がるとワクワクした。大ごとにならなかったからだとは思うけれど、残酷な子どもだった。停電してろうそくの灯りで過ごした時にもどこか気分が高揚した。何か大きな災害や事件に、喜びではないけれど、興奮する自分がいた。

 

 大人になった今では、あの頃の自分を情けなく思うけれど、結局気持ちが違うだけで、何も力になっていない自分という存在は昔も今日も変わっていない。

 

 そうそう、昭和40年前後のことだったろうか?母とちょっと街へ出ると、傷痍軍人さんが、アコーディオンやハーモニカで音楽を奏でたり、ゴザに座って頭を下げたりしていた。もちろん、当時は「傷痍軍人」なんていう言葉も知らず、あの人たちはいったい誰か?何をしているのか?と思った。その人たちの前には汚れた缶が置いてあった。

 

 母から

「戦争で足や手がなくなっちゃったんだよ。かわいそうに。これをあの缶に入れてきなさい」

と言われ、小銭を渡された。訳も分からず、言われたとおりにした。だからなのか、今でもアコーディオンのあの音色を聞くと、NHKの「のど自慢大会」よりあの軍人さんを思い出し、心がギュッとなる。

 

 あの行為はよかったのだろうか?父はそれを

「いいことしたね」

とは言ってくれなかった。人を見下しているようで、嫌だと言っていた。

 

 今、私は「寄付」というものに嫌悪感はないけれど、やはり戦争が関係していたからなのか?あの時の父の気持ちもわかる。でも母の指示もわかる。

 

 人を助けるって何をすればよいのだろう?そもそも私なんかに人を助ける力はあるのだろうか?

 

 と、そうやってまた言い訳をして何もしない自分がいる。今はただただ、

「応援してます」

という気持ち、届けます‥‥‥。

 

 

孫が犬走り部分にチョークで描いた。

虹のどらえもん?

癒された飛び出すハート