今年に限らないが、1年の始め、やっぱり目標とか夢とか、言葉にしておくというか、文字に残すのは大事だ。
やりたいことは
「日本の全都道府県、訪れたい」
もちろん何年かかってもいいから。60年以上生きてきて、私はまだ四国に行ったことがない。白地図でも手に入れて、色鉛筆で行ったところを塗りつぶす。そんな気持ちがあります。
さて、目標です。そろそろ1年になろうというこのブログ、がんばって続けることです。たった数人でも「いいね」があると、ああ、読んでくださったのだ、と嬉しくなります。長年続けていらっしゃる方、尊敬します。私もそんな風にやりたい。
私は父が亡くなって、ちょっと心残りがある。それは父との会話で、肝心なことを聞いておけばよかった、ということだ。おしゃべり好きな父娘は、私からは子どもや孫の様子など、父からは日常の様子など、世の中のニュースなどもたくさん話してきた。けれど、父の幼少期のことや戦争のことなどが話題になることはほとんど無かった。冗談やブラックジョークで笑ってばかりいて、後悔している。
一方の妹は聞き上手で、何かとインタビューのようにしながら昔のことを聞き出し、ちょっとした家系図まで書いていた。私たちの曽祖父母から従兄弟姉妹のレベルだけれど。そこには友人までもが登場し、「足が速かった」とか「お習字がうまかった」とかエピソードまで記入してある。ただ、海外に住む妹は、なかなか時間がとれなかった。父から聞いていないことはまだまだあったと思う。
私の心に響いた話のうちのひとつ(妹から聞いたのだが)は、父が10歳の時、母に連れられて銀座に行った時のこと。大勢の兄弟の中で、自分だけ。そこにはなぜか、資産家に嫁いだ伯母さんがいて、3人で鰻を食べたというのだ。その時、自分はこの人に連れて行かれるのではないかと、そんな予感がしてずっと母の着物の袂をつかんでいたそうだ。
鰻とは豪勢なもんだ。が、ちっともおいしくなかった、味もわからなかったと。7男1女の4男である父は穏やかな真面目な性格で、おそらく子どもに恵まれなかった伯母の家の養子に、なんて話がもちあがっていたのだろう。幼いながらも父は敏感にそれを感じていたのだろう。10歳の父が母の着物の袖を絶対に離すまいとぎゅっと握っていた光景を想像すると胸に迫るものがある。
「養子になる」
明確に理解し、納得するには10歳は幼い。両親が不幸にも亡くなったなんて状況でもない。自分以外にも兄弟がいるではないか。私が大人になって知った「口減らし」なんて言葉、当時の父は知っていたろうか?
もっともっといろんな話を聞いておくべきだった。
父の級友に綴り方の上手な子がいたんだって。自分は字も下手だったし、あんな表現ができたらいいな、と羨ましかったって。
「綴り方とは作文のことだよ」
って、私が小さい時に父は教えてくれた。
私の表現を父がうまいと言ってくれるかどうかは別として、だから私は文章を綴るよ。将来、子ども達に、母ともっと話したかった、あんなこと、こんなこと、聞いておけばよかったなんて後悔させないために、ありとあらゆることを書き残しておくよ。読むのが面倒と言わせるほどに書きまくるよ。あ、パソコンだけどね。
皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
