私が子どもの頃、最後の最後にトイレの掃除をして、母がやっと落ち着くのは毎年12月31日の午後9時を回った頃だった。それだって、落ち着いたというより、何とか終わりにしてしまった、という方がピタッとくるかもしれない。そして母は馴染みの美容室へ出かける。私だけがいつもくっついて出かける。幼稚園・小学校は冬休みで、特に大晦日は夜更かしも許される。10歳くらいまでは母のお供をしていたようだ。

 

 そこのパーマ屋さんは、狭いお部屋に2つの大きな鏡と椅子があった。近所のおばさんだけをお客さんにしているようなところだった。私はそこで何をするでもなく、黙って『紅白歌合戦』を見ていた。時々、おばさん達が髪をくるくる巻いて御釜みたいなものを被っているのも眺めた。

 

 私が小さい頃は、新年を迎えるってこと、大きな大きな出来事だった。だって忙しい母が、わざわざ夜美容院に出かけるんだもの。私達には新しいお洋服一式が用意された。大みそかのお風呂上りにはシャツもパンツも真っ白の新しいものを身に着けた。

 

 ある日、祖父母の誕生日が知りたくて、両親に尋ねた。2人とも知らないという。

「えっ?自分のおじいちゃん、おばあちゃんじゃないよ。自分の両親の誕生日だよ?忘れちゃったの?」

そしたら

「忘れる前に覚えてもいないよ。昔は生まれたらその時点で1歳、正月が来れば全員1つ年をとる。12月31日生まれなんて、1日経ったら2歳だよ。ま、そんな時代だから誕生日なんて意識したことないよ」

だって。

 

 そうだ、数え年と満年齢の話は聞いていたな。そうか、1月1日は日本国民全員の誕生日ってことだったわけだ。そりゃあ、おめでたい。髪だって整えるし、着るものだって新しくするわね。