父が亡くなり、数ヶ月が過ぎたころだった。慌ただしい生活もようやく落ち着き始めた。母から

「beachan、お父ちゃんが持っていた家の鍵はどこにあるか知ってる?いつも置いてあったところにないのよ」

母はちょっぴり神経質なところがあるから、家の鍵を失くしたなんてことがあったら大ごとだ。自分の分があれば用は足りるのに。誰か知らない人が持っていて、勝手に開けて入ってきたらと思うと、怖くて夜も眠れないと言う。私なんて、そんなまさかは、ありえないと思うけどね。

 

 父が亡くなった時は海外から妹が来ていて、何かと動いてくれた。例年通り、年末年始を実家で過ごそうとやってきた妹だったが、父の様子を見て、帰国が延び延びになった。結果的に妹は、父の納骨を済ませて、日本を離れた。

 

 妹ならわかるかも、と連絡を入れてみたが、その期待も外れ、そのうちに私は鍵のことなどすっかり忘れていた。

 

 ある日、実家に行くと母は満面の笑みで私を迎えた。

「あった、あった。お父ちゃんがよくはいていたズボンのポケットから出てきたよ。それから、お金も入っていたよ。今晩からはよく眠れると思う」

 

 それは、裸銭で1,000円札、5枚だった。父は亡くなる前の数日間はパジャマで過ごしていた。そのズボンは、デイサービスや通院の外出時にはいていたもの。年が明けてからは足腰がだいぶ弱って、娘(孫)が車で内科や整形外科の送り迎えをしていた。娘が言うには、時々運転代だと言ってお小遣いをもらったらしい。

「おじいちゃん、いらないよ。これならタクシーを呼んだ方が安いよ」

とことわるが、強引にカバンに押し込むこともあったそうだ。またいつか、孫に世話になった時に渡そう、とでも思ってポケットにお札を忍ばせていたのだろうか?

 

 普通に元気に、普通に生活していれば何でもないこと。他人にとっても何でもないこと。男性がズボンのポケットに裸銭を入れているのもよくあること。けれども何でもないことでもどんな小さなことでも、私にとっては、亡くなった父が何を考え、何を思って行動したのか、その意味は何だったのか、想像すると胸が熱くなる。

 

 友人から、

「母が亡くなった後、だいぶ時を経てから母名義の振込領収書が引き出しから出てきたのよ」

と聞いた。お母さまは毎年クリスマスの時期に合わせて、世界の恵まれない子供たちに寄付をしていらしたそうだ。

 

 話に差はあれど、亡くなった人の足跡を偶然にも見つけた時、それがどんなことでもあっても胸に響くものがある。