小学校1年生の運動会種目と言えば「紅白玉入れ」が定番。これはもう私の時、半世紀以上前からあるんだもの。我が子らもやっていた。だけど、私の中で、大きく変わったなあ、と思うことがある。

 

 次男が小学生になった時、玉入れで音楽がかかり、籠の周りに大きな円を描いて並んでいる子供たちが曲に合わせて両手を腰に当ててお尻を左右に振りながら踊っているのだ。そして、音楽が止むと(ほかの音楽に変わると?)一斉に玉を籠めがけて投げ始める。そして、また音楽の合図で投げるのをやめて、外側の大きな白線の定位置へとあっという間に移動する。腰振りダンスが始まる。

 

 その昔、始まりも終わりも合図は「ピーッ」っていう笛の音だった。でも止められないで、必ずそのあとにもそれぞれの籠に5~6個は入っていたっけ。いや、もっと入っていたかも。

「やめ!」

という先生の声よりも、大きな笛の音よりも、音楽っていうのは、子どもの動作の合図になるのだなあ、と思った。

 

 音楽は人の心を豊かにしたり、奮い立たせたり、歌詞には感動もする。スポーツ選手は集中力を高めるためにお気に入りの音楽を聴くっていうものね。でもそれだけじゃないんだね。

 

 そういえば、私が幼稚園の時のことだ。やっぱり、先生のピアノがいろいろな動きの合図だった。おもちゃで遊んでいた時に

「おかたずけ~♩おかたずけ~♬さあさ、みんなでおかたずけ~♩」

の曲が聞こえたらおもちゃをしまう。お弁当の時間になると

「おべんと、おべんと、うれしいな~♫……」

が始まり、全員がカバンからお弁当を出して準備が始まる。

 

 ある雨の日、午後の降園時間、それぞれが帰り支度をして椅子に座り、お母さんのお迎えを待っていた。が、ギャーギャーうるさかったのだろう。そんな時、先生は『ブラームスの子守歌』を弾く。それが聞こえてくると子どもたちは肘を丸い大きなテーブルの上に乗せ、手のひらを合わせた両手を片方の耳に当て、少し頭を傾け目をつぶって眠っているポーズをとる。私は、当時は、おとなしくて素直だった(と思っている)。いち早く寝たふりをした。

 

 けれども周りはちっとも静かにならなかった。6歳の子なんてそんなものだと今ではわかる。すると高橋先生が大きな声で

「寝ているのはbeachanだけです。お母さんたちがお迎えのためにお外で待っていますが、帰っていいのはbeachanだけです」

 

 先生、それだめでしょ!教室はいきなり静かになり、その直後に律子ちゃんの泣き声が響き渡った。それにつられて数人が泣き始め、大合唱となった。私1人が教室からテラスに出て上履きから長靴に履き替えた。そのあとどうなったかは知らない。

 

 長女のしっかり者の私は思った。

「おうちに帰れないと言われて泣くくらいなら、さっさと寝たふりすればいいのに」

これじゃあ、素直というより、大人びた可愛げのない子だよ。私、6歳の時のことでした。