今から60年も前のこと、よく覚えているなあ、と自分でも感心する。そう、私は経験したことの中でも特に強い思いを残したことに関しては記憶がいい方だ。だから、失敗や恥ずかしかったこと、辛かったことなど、忘れたくても忘れられなくて苦しむこともある。
昭和30年代の幼稚園の入園試験に興味のある人はいないかもしれないけれど、私の記憶力を披露したくてちょっと語ってみます。当時は2年保育が主流で、その時私は4歳半だった。
実家は米屋を営んでいたので、その日は父が珍しいスーツ姿で私の付き添いをしてくれた。幼稚園のお教室に入ると、机が6個横に並んでいて、それぞれ向こう側に先生が座っていた。その向かいには子供たち。入口からすぐの1番左の席が空いていて、先生が優しくそこに座るように促してくれた。それぞれの子どもの後ろに少し離れて親の席がある。ほとんどがおかあさんで、私はちょっと恥ずかしかった。
親は黙って子どもの背中を見るしかない。当時はそんなこと思いもしなかったが、どの親もおそらく我が子の生まれて初めての試験に立ち向かう姿に子どもよりドキドキしていただろう。地域に存在する、普通の幼稚園ではあっても。
最初に名前や兄弟姉妹、家族について聞かれた。そのあと、右に一つずつずれる。親も移動していく。親にとって、正面には常に我が子の背中だ。次には5色ほどの色の名前を聞かれた。その次には丸三角四角など、形の名前を聞かれた。次の机にはジグソーパズルのようなものがあった。大中小のアシカがそれぞれボールの曲芸のようなことをした絵があって、そこに違う大きさのボールの絵をはめ込む。最後には、先生に
「おうちはどこですか?」
と聞かれた。私は机の上で人差し指を動かしながら
「幼稚園を出てこっちに曲がると神社があるから、そこを曲がってまっすぐ行って、今度はこっちに曲がるのね……」
と家までの道を一生懸命に説明した。
最後の最後は親の席も隣にあって、先生と父が話をしていた。子どもは、お土産を選ぶ。色んな色の折り紙で折られた紙バッグがあって、私は赤を選んだ。中には、ミルキーが3個が入っていた。
帰り道、私はすべて終わってホッとした気持ちと、自分の中でうまくできた喜びと弟に自慢するであろうミルキーにうかれていた。が、父が言った。
「ウチを説明するときは住所を言えばいいんだよ。あんなふうに説明しなくていいんだよ」
私は人から何かを教えてもらうことは好きなのだが、教えてもらっていないことを指摘されるとすっごくむくれる。涙も出てくる。だったら、その住所とやらを教えといてくれればよかったのに。せっかくいい気分だったのに、一気に不愉快になった日だった。
こういう思い出を子どもらに話すと、
「よく覚えているね。この記憶力が学習に生かされていたら、おかあさんは東大に行かれたよ」
って言われる……。