義母が67歳で亡くなって20年近くになる。その間義父は一人で生活している。すごいもんだ。80後半だもの。ただ、私達は近くに住んでいて、すぐに駆け付けられる距離だ。
義母が手術をして入院中、私は義父にご飯を届けていたが、それがそのまま引き続き、今に至っている。
「オレはご飯は炊けるけど、料理だけはできないなぁ。」
常々義父から聞いていたから。
義母は生前
「コンビニでもスーパーでも最近は一人分のおかずが売っているんだから、自分で買ってくればいのよ。私に何かあってもbeachan、やらなくていいからね」
って私を気遣ってくれていた。けど、義父は
「やっぱりスーパーのお惣菜と作ったものでは違う」
と言う。そう言われちゃあ、「やめます」は言えないよなぁ。
実は、子どもらが高校生の頃、保護者会などで帰りが遅くなり、出来合いのお惣菜を買って戻った。高齢者は夕飯も早い。容器に詰め替えて急いで届けたこともあったけど、たぶんバレていない。
我が家で夫と3人で一緒に食卓を囲んだ時期もあったが、1人で自由にやるのがいいらしく、届ける方式に戻った。
今から5年ほど前に私の仕事が訳あってフルタイムになった。その辺りから、私は疲れてきた。もともとお料理の苦手な私……。さらに、デリバリーについて、運転免許も持っていない私は、もっぱら自転車が頼りだ。仕事から戻って大急ぎで朝準備しておいたものを仕上げる。豪雨や雪の日もあり、傘を差しながら鍋を風呂敷に包んで歩いて運んだこともある。もちろん、小雨程度ならば、カッパを着てチャリだ。密閉性の高い入れ物でも、漏れていることもあった。昔のそば屋さんの出前のバイクについている、揺れてもこぼれないアレを自転車につけたかったわ。
最近は、夫が配達だけやってくれるようになった。ありがたいが、配達だけ!
義父はいつも
「ありがとう。おいしいよ」
と言ってくれる。その言葉は沁みる。そして、 毎月食費を渡してくれる。それらが、私の大きなモチベーションとなっている。あ、特に後者です。でも最近
「ほんとに物忘れがひどくなって、食費渡すの忘れちゃうから、言ってね」
と、材料費を忘れるようになった。認知症とかではなくそれなりの物忘れと思うけれど、度重なるようになってねぇ。(というかほぼ毎月)
義父が忘れるのは仕方ないとして、夫よ、届けた時にあなたが言ってよ。私が言う前に、何とかしてよ。
あ~ん、月謝袋でも作ろうかしら……。