ある日、
「もしも私ら3人の中で犯罪者になりそうな人っていったら、絶対私だよね」
と娘が言った。ちょっと、ちょっと、何それ、聞き捨てならない。どういうことよ!
「もちろん、ナイフを振り回すとか、モノを盗む、とかじゃないよ。今はみんな知っている話だから私もやらないけど、海外の空港で誰かに『成田で待っている友人にこれを届けてください』ってお願いされて、快く引き受けたら、それが麻薬だった、とかさ!まあ、騙されやすいというか、人が困ってたら何とか助けたい、と張り切っちゃうわけよ。お兄ちゃんや航は絶対やらないよ。冷静だよ」
ああ、そういうことか、と安心した……いやいや、安心できない。でも何だか納得しちゃう。
先日は、夫が長男に仕事がらみのお願いをしたらしい。が、その電話の途中で即座に断られたそうだ。そしてこう言った。
「なんだよなぁ。俺だったら、もう少し動いてみる。それでだめだったら断る。電話の途中で『あ、それ、ムリ!』ってさあ……」
私は、夫の言葉の「俺だったら」に食いついた。
「なんかさぁ、それって『あいつは俺に似てない』って言ってる感じ。私に似て冷たい、って言われている気がする」
ま、結婚生活40年近くもなれば、ここからけんかに発展することもなく、これでおしまいになった。私だって、自分だけが動いてどうにかなる問題だったら、即座にNOは出さないよ。助けよう、と思うよ。が、そこに上司が絡む、とか難題だったりしたら、その場でお断るかも。待たせて、期待をもたせて、長く待たせて、結局「ダメでした」も申し訳ないしね。
この前テレビドラマでやっていた。ある女優さんがドラマの中で、微妙な関係の男性に対して
「正しいけれど冷たい……」
って。冷たいって言われたくないよね。でもじゃあ「間違っているけど温かい」ってどうよ。それもどことなく間抜けな感じがしちゃうわ。