例えば、
「帰りにコンビニで牛乳買ってきて」
と頼んだのに忘れられた、とか
「この手紙、どこかでポストに入れておいて」
と出かける夫や子供たちにお願いしたのに果たされなかった、とかならば理解できる。私だってそんな忘れ物は大いにある。だけどさぁ、食器棚からカップを取り出した後、扉を閉める、とか食事が終わったら椅子をテーブルに納める、とかはどうなのよ!
娘はほとんど、そのまま、である。注意をすると彼女は
「あ!忘れた。ごめん」
と言う。私の中では、それは忘れる、という行為ではない。「開ける、取り出す、閉める」「立つ、納める」は、一連の動作だと私はずっと言い続けている。忘れる、ってのは、そこに、ある程度の時間経過が必要だと。(もちろん、ご病気を患っていらっしゃる方は別ですよ)
そして、「ごめん」っていうのは、その行為に対しての謝罪と共に、「これからは注意してやらないように努力するね」が含まれているはず。そして、後者の方がとっても大事!
いつだったか、家族みんなの虫の居所が悪かったのだろう。椅子を片付けずにテレビの部屋へ移動しようとした娘に、先ず私が
「イス!」
と一言。すると娘が
「お父さんだっていつもそのまんまじゃん」
と言い返した。そこで私は
「お父さんは小さい頃から教えられてこなかったんだよ、何十年もこれだもの。私が補助する。(いやいや、これから私がしつければいいんですが、ブスッとされるのもいやだし、その程度なら黙って私がやった方が早い。と、これがいけないとはわかっているんだけど)でも、サトミはまだまだ若い。これからのために私はしつける!」
と声を上げた。すると我が意を得たり!とばかりに夫が言った。
「そうだ!オマエみたいにだらしないヤツは一生結婚できない」
どうして話がそこまで発展するのよ!と、私の心の中の声。言葉に出したら、火に油を注ぐことになる。
夫は自分と自分の親が非難されたことにはまったく気づいていないらしい。その後、夫が本当に暴力をはたらくのではないかと思うほどに言い合いはエスカレートした。次男は
「食事がまずくなる」
と途中で席を立ってしまった。結果は忘れたが、私が間に入って何とかしたんだろうな。
最後に、ボロボロと涙をこぼしながら娘が言った。
「お母さん、私が学習障害児だったらかわいそうだよね。こんなに怒られて」
学習障害児なら同じことをしても怒られない、っていう認識、違いますよ、お嬢様!確かに夫の怒り方には問題ありますけど。私は繰り返し、注意させていただきます!
私が小学生の時に、クラスにいました。授業中、椅子から立ち上がってフラフラしちゃう子。何回注意されても読みかけの本が気になって机の下で隠しつつ夢中になっていた子。体育の時間は先生の言葉をちゃんと理解し、何でも上手なのに、算数だけが全くできない子。ちょっとしたことですぐ泣いてしまう子。自分の言い分を絶対に曲げない子。それでも同じクラスでずっと勉強してきた。
今だったらみんな『学習障害児』という診断(?)がついてしまうの?診断を付けるようになったということは、その方が利点があると専門家が結論付けたの?親はその方が安心できるのだろうか?
「あ、生んだ私が悪いわけではなかったんだ」
「遺伝じゃなかったんだ。安心できた」
「育て方が悪いわけじゃないんだ。今まで責められているようで辛かった」
ママ達がそう思えることは大事なことだ。かと言って、解決するわけではない。
それにしても最近すごく耳にするようになった。それだけ増えているということだろう。さらに、学校に馴染めず、不登校になってしまうお子さんも多いようだ。
「個性」としてはいけないのだろうか?ただ、それぞれが個性として生かされるには、今の学校教育や社会では無理がある。環境が整っていないと思う。
今の時代の子育て、すごく大変だと、パパママに心を寄せている。なんとかできないものだろうか?ひとりひとりが生きやすい社会を目指すには、どうすれば良いのだろうか?