もう半世紀以上前だな。私が小学生だったのだから。その頃、音楽、図工、家庭科などは専科の先生がいらした。今もそうかな?よく覚えているのが図工、週2時間の図画工作の時間のこと。本当は大の苦手なんだけれど、先生がいろいろなことをやらせてくれたから楽しかったのだ。
エッチング、といって銅板?に鉄筆のようなもので絵を描いて印刷する。なんか、液体の薬をかけたりした記憶もあるけど。そうそう、木版画もやったわ。
畳一畳分ぐらいのベニヤ板に数人のグループで、家から持ち寄った余りぎれ(布)を貼り付け、絵にする。私たちのグループは『吉祥天女像』を描き(貼り?)、高く評価された。アッコちゃんの提案だったけれど、中学生になり、歴史の教科書にそれを見つけたときは感動だった。そんなことを知っていたアッコちゃんを尊敬した。ただ、彼女は小学校卒業と同時にお引っ越ししてしまったので、その思いは伝えられていない。
家にある包装紙や廃材を使って洋服を作り、ファッションショーもやった。
10×10×30センチくらいの軽石素材の直方体で彫刻をした。ゲンちゃんはもちろん構想はあったと思うが削っていくうちにうまくいかず、最終的に5センチくらいの丸いものになっちゃった。勉強もスポーツも得意だった彼が、照れ笑いをしながら掌に乗せて
「石ころを作りました」
って言った姿、忘れられない。
楽器を作ったり、お面を作ったり、身体が隠れるくらいの大きな盾も作った。
普段の学習だけでは見ることのできないクラスメートの器用さ、色形のセンスの良さ、大胆さ、そして何よりそれらは個性にあふれていた。
もちろん大作となると何週かけても時間内に終わらないことは多くて、みんな放課後に図工室で作業した。いつ訪れても萬田先生はそこにいらして、糸ノコや彫刻刀、シンナーの扱い等に注意を払ってくれた。
私は図工の成績は決して良いといえなかったけれど、すごく楽しくて、今さらだけど先生に感謝!
最近の学校での学習、図工などの実技系は、やることのスケールが小さくなっているように思う。その昔はお習字も墨をするところから始まっていた。
「墨をするときは黙って、神経を集中させて」
みたいなこと、先生に言われたけれど、小学生にそれは無理!おしゃべりしながらあの消しゴムくらいの大きさの黒い四角い墨を硯に滑らせていた。だんだんと墨が小さくなるけれど、
「墨の形が長方形じゃなくて台形になる人は心がまがっている」
なんて、誰かが言い始めて、みんな必死になったことも。最終的に45分の授業の最後の10分で提出作品を仕上げ、片付ける。授業中ほとんど墨をすってたってことね。それでも文字の色は真っ黒にならず、みんなうすーいグレーだったけど、あれも又良かったな。
今の小学生の学習は、どんなことに重きを置いているのかな?私たちが小学生の頃には想像もできなかった英語とかやってるみたいだものね。手の込んだ作品に取り組んだり、墨をすったりする時間は……無いだろうな。