《母親編》

 

 「暑い、暑い」

と言いつつ、夜にはコオロギの鳴き声が聞かれるようになった。

「カタサセ(肩刺せ)スソサセ(裾刺せ)サムサガクルゾ(寒さが来るぞ)」

そう鳴いていると小さい頃母に教わった。子どもの耳に、本当にそう聞こえた。

「今のうちに着物の肩や裾を繕っておきなさい。寒い冬がやってくるよ」

という意味で、母は自身の祖母に教わったらしい。

 

 母は、こういう言葉?言い伝え?格言?のようなものが好きで、耳にしてきたこと、目にしてきたこと、たくさん教えてくれた。

 

「子どもを叱るな、来た道じゃ。年寄り笑うな、行く道じゃ」

「人が嫌がることをしたら、それは必ず自分に返ってくる」

挙げればきりがない。中には迷信っぽいものもあったけれど。それら、自分が得た知識(とは言えないかな?)を決して盗まれることのない財産として子どもに与えようとしていたかのようだ。

 

 母は、中学校しか卒業できなかったことをとても悔やんでいた。混乱の時代、周りは農家ばかりの地域、そんな理由があったろうと思うが。だから、学ぶことに力を入れていたし、子どもの教育にも一生懸命だった。といっても高度な知識を持っていたわけではないし、おけいこにもお金がかかるし、ただただ、学校での学びを大切にするように、言われていた。

 

 そのために、丁寧に環境を整えてくれた。鉛筆は、すこーし上を削って、そこに名前を入れる。忘れ物は、 届けてくれた。体育着入れはフランス刺繍が入ったオリジナル。教科書にはどこかのお店の包装紙でカバーが付けられていた。30センチ物差し用の袋も縫ってくれた。どれも名前は毛筆で書いてあった。そんなのクラスで、いや学年で私一人だったと思う。

 

 母自身も近所の編み物教室に通ったり、NHK通信講座?みたいなものにも取り組んで、仕事の傍ら、努力をしていた。

 

 先日実家を訪れた時、母が

「友人にハガキを出すんだ」

と言って私に見せてくれた。決して美しいとは言えない89歳の震えた文字が並んでいた。そこに「態態」という文字があった。私はなんと読むのか知らなかった。(還暦過ぎてますが)「わざわざ」と読むんだって。そして、それこそ母は態態愛用のボロボロになった辞書を持ち出し、調べたんだって。

 

 「そんなのひらがなで書けばいいじゃん!わざわざ漢字調べることなんてないじゃん!」

とは思ったものの、私は言えなかった。ああ、これだ、母はいくつになっても学ぶ姿勢を忘れない。

「おかあちゃん、すごいね」

と言ったら、母は、顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。

 

 母は、いつだって手間を惜しむことなく、私たちの子育てに懸命だった。自らのその姿勢を子どもに見せてきた。私はその背中を見てきた。が、

「あ~、食事の支度、めんどくさい」

と毎日のように言い、

「『わざわざ』なんてひらがなでいいじゃん」

と思っているようでは、私はまだまだ母を超えられない。

私のために親がしてくれたこと

 

 

 

 

 

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