『大きな玉ねぎの下で』爆風スランプの曲です。
「ペンフレンド」として交際を深めたり、「貯金箱」を使ってお金をためたり、「定期入れ」に彼女の写真を入れたりすることなんて今の時代には想像もできない話だろう。スマホの存在が大きい。
1人の少年(青年?)が、手紙のやりとりをして彼女への恋心を深め、頑張ってコツコツ貯めてきたお金でコンサートのチケットを買い、彼女に送った。
初めて会うというコンサート当日、高鳴る気持ちで武道館を目指した。彼女からの手紙には、行かれるよ、くらいの返事は届いていたことと思う。それでも彼女は姿を現さなかった。アンコールで盛り上がる周りをよそに独り涙を浮かべながら高鳴る心で歩いたその同じ道を真逆の気持ちで九段下(真逆の方向)へ向かうことになってしまった。
彼女は、なぜ来られなかったのだろう?急な病、事故など不安が襲う。もしかしたら最初から来るつもりも無かったのか、失望に陥る。彼の切ない心が痛いほど伝わる。
「あの大きな玉ねぎの下で初めて君と会える」
「君のための席が冷たい」
「千鳥ヶ淵月の水面振り向けば澄んだ空に光る玉ねぎ」
(解釈は一部私個人のものですのであしからず。歌詞の一部をCDの歌詞カードからいただきました)
私が惹かれる曲には頭でストーリーが描ける曲が多い。(悲しい曲以外でも)そこに固有名詞があるからなんじゃないかと思う。千鳥ヶ淵、九段下、大きな玉ねぎは武道館の象徴になっている。
ユーミンの「右手に見える競馬場、左はビール工場」
サザンの「大黒埠頭・マーリンルージュ・シーガーディアン」
そのほか、昔は「長崎」や「銀座」「横須賀」という実際の地名があったり、「あずさ2号」「津軽海峡」なんてあったなあ。
今の曲、若者の感性そのまま、心の内を直接伝える(叫ぶ・放つ)曲が多くて、人の心に寄り添うのが上手。単語の途中で区切ったり、韻を踏んでいたりする工夫、そのクリエーターとしての力、すごいなあと思う。
でも一方で、やっぱり私は昭和アナログ人間なんだろうな。実物(固有名詞)が出てくると俄然その歌に入り込めるというか、引き込まれるというか……。だから、ちょっと前だけど「ドルチェ&ガッバーナ」が出てきたときは、香水のこと、たいして知りもしない私なのに、引き込まれ、40歳若返ったようだった。
