まさしくこの時期だった。義母は胃がんを患い、秋に手術するもその半年後、夏の終わりに67歳で亡くなった。20年近くも前のことだ。

 

 優しくて、芯がしっかりした人だった。ふくよかな体型が、余計に温かさを感じさせた。私はイヤな思いはしたことがない。そりゃあ、義理だから「あれっ?今のはどういう意味だったのだろう?」ぐらいはあったけど。

 

 孫もかわいがってくれた。誕生日やクリスマスにはプレゼントを買ってくれて、わざわざ届けてくれるんだけど、玄関で帰っちゃう。

「お茶の1杯でも」

と言っても

「いいのいいの、帰りにおつかいでもしようと思ってるの」

って。もうこれだけで、最高の義母ですよ。

 

 義母が再入院したとき、お医者さんに

「長くて2週間でしょう」

と宣告された。そのうち、痛み止めの薬で意識もなくなった。横たわるやせ細った義母を見ているのは辛かった。ましてや義父、夫、妹弟はどんな思いで付き添っていたのだろう?

 

 義母は着物が大好きだった。だからお別れの席では私も着物を着ようと思っていた。私も好きだったので、子ども達の お宮参り、七五三、入学、卒業などのお式の時は着物だった。ところが、着物って袷と単衣、ま、冬物と夏物があって、洋服よりもそのしきたり?が厳しい。夏だけどちょっと涼しいから冬物でごまかしちゃえ、なんてことは許されない。私は、夏物の黒喪服を持っていなかった。しかも着物は洋服のように、お金を支払えばすぐに持ち帰れる、というものではない。寸法を測り、その人に合わせて仕立てるのだ。最短でどれくらいの期間が必要なのか、金額はどれほどになるのか、入院中の義母の付き添いの合間に、私は汗をかきかき着物屋さんを数軒回ってリサーチした。

 

 これほどまでに、としょげ返る夫に内緒で私はあるお店で揃えることにした。その間、訪れた他のお店のスタッフさんから葉書が届いた。

「黒のお着物、決まりましたか?」

 

 これを夫に見られなくて良かった。夫だって、既に覚悟はしていただろうけど、妻が別れの準備を着々と進めていたことは知りたくなかっただろう。若い女性のそのスタッフさん、笑顔で一生懸命対応してくれた。わざわざ葉書を書いてくださった。でも黒の着物を急いで仕立てようとしている事情にまで想像が及ばなかったのか。

 

 当時打ち明けても夫は怒るような人ではないが、それからも何となく月日が経ってしまった。でも義母はあの時、私の着物姿を喜んでくれたと思いたい。