《恋愛編》
戻れるなら中学入学時かなあ。
というのも私は中学2年~3年にかけて、一種のストーカー被害にあった。当時はもちろん「ストーカー」なんて言葉知らない。けど今から30年くらい前に「ストーカー」という言葉が頻繁にテレビで流れ始め、内容を聞くに、「あぁ、あの時の私は(相手は?)これだったんだ」と思った。警察にお世話にはなっていないけれど、それはそれは怖かった。こんな人がいるなんて、と不思議で仕方なかった。私の何が悪かったのだろう?最近ではニュースで「ストーカー」と聞くことも増え、ある一定数、そんな人が存在するんだと思うようになった。
中学2年生の時、ある男子が好きになった女子と私の小学校が同じだった、というところから彼との付き合いが始まった。小学校時代の写真を見せてくれだの、卒アルを貸してくれだの。
私は良い子ぶっているつもりはないけれど、人から頼まれごとをすると、ノーと言えない。いや、むしろ私ができることならやってあげたい、と思っちゃう。そしてそんな自分に酔っていた時期もあったかも。今では、自分の良いところでもあり、悪いところでもある、とわかっている。
当時私にだって好きな人はいた。14歳だもん。でもそれは1学年上のサッカー部の先輩だった。私は自分の部活のない日に、教室の窓から先輩の姿を見ているだけで満足だった。
問題の彼とは、お互いというより彼からの一方的な相談を受けているうちに、手紙のやりとりが始まり、やがて当時流行った交換日記に発展した。人の相談を受けるのも、自分の考えをまとめるのも、文章を書くのも好きな私だった。好きな相手でもなかったし、気に入られる必要も無かったから、自分の考えをそのまま表現できた。その中で、私は自分の好きな人のことも伝えた。お互いに、もしも誰かと両想いになってお付き合いが始まったらこの日記はやめよう、という約束をした。
「彼はおかしいのではないか」と思い始めたのは2年生の終わりごろ。3年生もいよいよ卒業となり、ある日、彼が校内のごみ集積場で私の憧れの先輩のボロボロになったサッカーシューズを見つけ、それを拾って私に
「これ、見つけたよ」
と渡してきたのだ。私は躍動する先輩を見られることが嬉しかっただけで、履き古したシューズを欲しいとは思わなかった。私が
「要らない」
と言うと彼は突然キレて、私の肩を小突いた。
そこからだった。こんな人には関わりあいたくないと思い始めた。
「もう日記はやめたい」
と言うと、
「彼氏ができたわけでもないのに、約束が違う」
と怒鳴られた。
大人になった今では、知恵もつき、適当に彼氏役になってくれる優しい男子を見つけたり、もっと強固な態度をとれば良かった、と思いつく。けど、その時は恐怖だけだった。
「beachanが使っているペンが欲しい」
と言われ、
「同じの買えばいいじゃない」
と言っても聞き入れられず、肩を小突かれた経験を思い出し、渡してしまった。そして、それは物を変えてエスカレートする。最後は「髪の毛」なんて……気持ち悪くて、それだけは拒んだ。最初のペンを渡したことを後悔した。
そのうちに、
「自分の伯父が医者だから、毒薬なんて簡単に手に入る」
なんて脅され、
「成績が下がったのはお前のせいだ」
と勝手な物言いをされた。
好きだった彼女はどうしたのよ!うまくいかなかったから、私に当たっているわけ?心の中ではいくらでも叫ぶことができた。
私は友人に相談し、一緒に先生のもとに行った。が、どの先生も
「相手にしなければ収まる」
で終わった。相手にしなくても下駄箱に使い古したような包帯、虫の死骸、などが入れられ、
「卒業しても追いかけてやる」
と言われた。それでも先生は
「相手にするな」
だけだった。
年頃の男女の話、親の耳にだけは入れたくなかったが、その最終手段をとるしかなかった。父はすぐに学年主任に電話で相談をした。そして電話の後、小さな声で言った。
「beachanは、『いや』が言えないからな……。そんな風に育ててしまったかな」
父が私に怒ることはなかった。
翌日、授業中に放送で呼ばれた。先生って子どもの話を真剣に聞いてくれないのかな?親の話には翌日早々に対応するんだな。ちょっと不信感が芽生えた。
事務室?には校長、教頭、学年主任、それぞれの担任がそろっていた。彼は
「二度と近づくんじゃない」
ってな感じのことを言われていた。私はただ座って聞いていた。校長先生が最後に話した。
「『桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す』という言葉、知っていますか?」
として、その意味を教えてくれた。その後、その言葉に出会うたび、その頃のことを思い出した。忘れられない言葉となった。その後、びくびくしながらも私は普通の中学校生活を送ることができた。
高校時代、通学電車で制服姿の彼が突然私の前に現れた。彼は通学でこの路線を使わないはずだ。ニヤリとした彼に、私は一瞬心臓が止まったかのようだった。
それ以来、私は恋愛に憶病になった。あんなことがなかったら、と何度も思った。生涯の伴侶は、学生時代の同級生となった。それなりに幸せにやっています。
後悔、というのではないけれど、キュンキュンした学生時代を送りたかったなぁ。ただ好きになるだけでなく、告白してみたかったなあ。憧れの制服デートもしてみたかったけど、全ての男子があんな風に豹変するかのように思われた。縛りが解け始めたのは、20歳を過ぎてからだった。
半世紀も前のこんな経験を私は初めて吐き出すことができた。
長文にお付き合いくださった皆様、ありがとうございました。
