私は、小さい頃から、先生という職業につきたいと思っていた。第一子の長女でもあり、両親から弟や妹の面倒を見るようにしつけられた?ように思う。嫌ではなかった。庭にござを敷き、開放的なお外で近所の友だちとみんな一緒にやる「先生ごっこ」は楽しかった。紙芝居を読んだり、おもちゃの黒板に文字を書いて遊んだ。

 

 高校卒業後、幼稚園免許の取得できる短大に進んだが、やっぱり小学校だ!と思い、四年制大学に編入した。なんたって、子どもの行動力や思いがけない発想力には驚かされる。ボランティアなどの触れ合いでは笑いは絶えなかったけど、一方で教育というものについて考えさせられることも多く、先生という職業にますます憧れを抱いた。

 

 大学では、短大での2年間に取得した単位が認められないものも多く、私は忙しかった。けれども教材研究の授業などはワクワクするほど面白かったから、苦にはならなかった。4年生の6月には4週間という長い期間の教育実習があり、7月には採用試験が待っていた。卒論も卒業のための必須科目だった。だから私は3年生の時に既に試験対策を始めていた。

 

 そんな私の気持ちは実習でくじかれた。もともと「先生になりたい」なんて気持ち、強くなかったのだろうか?「子どもが好き」なんて口先だけだったのだろうか?所詮「先生ごっこ」 を楽しんだ人間の戯言だっのか?

 

 指導教官は独身女性で、定年間近(と思われる)の2年生担任だった。

「実習生に授業をやらせると遅れが生じる。時間の無駄!分かるでしょ?」

と初日にはっきりと言われた。4週間の内、私が受け持った授業は研究授業も含めてたったの3回。それ以外は

「私の授業を見て、逆に指導案を書き起こして翌日提出してください。私が、その授業で何を意図してどんな発問をしたか、生徒がどんな発言をしたか等々」

という課題を出された。子ども達と触れ合うどころか、授業中に必死にメモった下書きの清書に追われた。

 

「あなたにはセンスがない」

「隣のクラスの先生は○○大学というあまり耳にしない大学を出ているけれどよく頑張っている」

私のセンスはどうでもいいですが、人を見下したようなその物言いに私はあきれた。

 

 パンツ姿の私に

「女の子は先生のファッションに注目している。今日も私はネックレスをほめられた。スカートにしてください」

って。ジャージの先生もいますけど?これはもう、今でいえば何とかハラスメントの一種だ。

 

 研究授業の日の放課後、大学の担当教授がお話をされた。

「忘れ物をした子がいたら、なぜそうなったのか、考えてみる。他に集中していることがあったのか、思いを巡らせてみる」

私はこの先生の授業が好きだった。それは決して忘れ物を肯定していることではない。どんな時にも心のゆとりが大切なのだ、必要なのだ、と私は解釈した。が、後から女教諭と二人きりになった時、彼女は

「忘れ物されて困るのはこっちよ!大学教授は現場を知らないからああいうことが平気で言える」

と、言い放った。

 

 実習の後、私はもう採用試験などどうでも良くなった。そんな私の様子が父にはわかってしまったのだろう。父はやわらかく私に言った。

「合格してからやめたっていいんだ。けど、勉強もしないのは逃げている」

これは、ずっと私の心に引っかかっている言葉だ。

 

 でもやっぱり私の気持ちは完全に失せていた。先生という職業につくと将来あんなふうな人間になってしまうような錯覚に陥った。あんな先生にはなりたくないと思ったし、あんな先生のいる場には居たくないと思った。だが、一方で、「自分が理想とする先生になって頑張ろう」と思わなかったのも確かに私だ。だから、今思うとそれは言い訳だったかもしれない。

 

 採用試験当日、

「ああ、この問題やったなあ。けど忘れた……」

「半年前に覚えたけど、定着してなかったんだ……」

そんなこと思いながら、鉛筆を握っていた。

結果はもちろん不合格!「あんな先生」どころか、先生そのものになれなかった。でもなんの未練もなかった。

人生をかえた転機は

 

 

 

 

 

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