《父親編》

 

 小学校6年生の夏休みに北海道旅行をした。商売を営んでいた我が家は、お盆の時にしか休めない。でもその時期は混雑するし、費用も高いから、と時期をずらし、母が留守番で、父と私たち姉弟妹の4人の旅となった。

 

 その少し前、父は腰を痛めてしまった。普段から仕事上、重いものを持つことが多かった。一度は母が代わりに行くという話も出たが、ちょっと神経質で、怖がりの母は飛行機を嫌った。父は毎朝コルセットをし、杖をつきながら旅行に備えて散歩をし、予定通り無事に出発することができた。

 

 その年の夏、全日空、東亜国内航空、の航空機が立て続けに墜落した。私たちが出発する直前だった。多くの犠牲者が出た。

「どうせ落ちるんだったら帰りがいいね」

と弟と不謹慎で能天気な会話をしたのを覚えている。

 

 札幌で観光バスに乗った。乗り込んだ時、私の座席の上にある荷物棚に太めの針金が巻いてあり、先が下を向いていた。前のコース?のお客さんが、荷物を固定させるために使い、そのまま放置したのだろう。その後、バス会社も車内の点検確認のような作業もしなかったのだろう。

 

 座る時に子どもの私は上など見なかった。

「痛っ!」

と言って手のひらを頭に当てると出血していることに気づいた。その後、見たこともないような父の姿があった。普段声を荒げることもない優しい父が

「ひどいじゃないか!」

と怒鳴っているのだ。運転手さんとバスガイドさんはひたすら頭を下げ、バンドエイドとタオルを持ってきてくれたが、髪の毛が生えた頭にバンドエイドなんて張り付かなかった。私はしばらく温泉に入った時のように、タオルを頭に乗せ、手で押さえていた。父の怒りはなかなか収まらなかった。私は人が争うことが大嫌い。子どもの私が父に

「お父ちゃん、もう大丈夫だから怒らないで」

と言ったほど。縫うほどの切り傷にはならず、事なきを得た。

 

 小さい頃父は、遊んでくれたり、勉強に付き合ってくれたり、旅行に連れて行ってくれたりした。いくつかのおけいこ事もしたし、大学まで行かせてもらったのだから、金銭面でも大きな負担をかけた。しかし、当時の私は、それらを当然のことのように思っていた。「子育ての中で親がすべき当たり前の流れ」みたいに。自分が子育てをした今では、それがどれだけ大変かわかった。

 

 でもこういう、自分が目にしたことのない父の姿は強く心に残ったし、そんな具体的な1コマこそが「私は父に守られて育ったんだ」と思わせる。

私のために親がしてくれたこと

 

 

 

 

 

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