今更だけれど、どうして何もできなかったのだろう……。

 

 昭和40年代、私は小学生。とにかくみんなでドッジボールに夢中だった。

 

 2時間目も終わりが近づくと、そわそわし始める。15分休みが近い。授業が終わるや否や、掃除用具入れに収納されているクラスのボールを誰かが持って校庭へと飛び出していく。みんなもあとに続く。いや、その前に先陣精鋭部隊が校庭の陣地取りに走り出している。その頃、スニーカーなんてかっこいい靴はなくて、ズック靴と呼ばれたそのつま先を使って校庭に長方形を描く。さすがに上級生が断然有利だ。いつの頃からか、見かねた先生方が、上級生と下級生が使える校庭部分を線引きした記憶がある。

 

 それにしてもたった15分であれほど熱くなれるなんて。チーム分けに割く時間はないから、大体、体育の時間に分かれる紅白組そのままに対戦は始まる。短いようだが、結構遊べた。

 

 放課後になると時間がある分だけ戦いは拡大した。クラスの壁も超えて楽しんだ。ただ、今でも私の心に引っかかるものが、この時のチーム分けだ。まず、上手な(体育と言えばこの男子、というような)2人がキャプテンとなる。彼らがじゃんけんをして、順番に一人ずつ指名してチームを作るのだ。当たり前だが、上手な順番に指名されていく。

 

 しまいには、運動が苦手な女子が残る。そこで、一方の男子はまさかの

「要らない」

もう片方のチームキャプテンが

「じゃあ、○○さん」

さすがにそこは「こっちも要らない」とは言えないルールだったようだ。けれど、「要らない」とか「じゃあ」とかって……。

 

 いったいいつからこんなやり方でチームを作っていたのだろう?今だったらいじめと認定される話だ。ただ、ドッジボールが苦手な子は、そもそもドッジボールなんてやらなければいい。自分が楽しめることをすればいいのだ。昭和40年代、それでもみんなが集って遊んだ。辛い思いをしながらも同じ一つの遊びに夢中になるって当時はそんなに魅力的なことだったのか?

 

 昭和が好きな私だが、この思い出だけは残酷すぎて好きになれない。何か声を出すべきだった。そして思い出すたびに、何もできなかった自分に喝を入れている。

今更だと思うこと

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する