長男が小学校4年生になり、学校の少年野球チームに入った。夫は大学まで体育会野球部に所属していたので、息子が生まれたら一緒に野球をやりたかったようだ。長男が物心ついた頃からおもちゃのバットやグローブを持たせ、遊ばせていた。
そんな親だから、息子が野球チームに入ると同時に、自分も指導やお手伝い要員として加入した。裏方としてみんなの指導を熱心に行った。長男が卒業し、さらに次男もその道に入り、かれこれ十年近い期間だった。
ある時、そのチームの卒業生の一人が
「コーチ(夫)に相談したいことがある」
と、我が家にやってきた。我が子らより先輩の彼だから、夫と直接の接点はない。どこかで聞いたのだろう。「今のコーチの中に高校・大学野球経験者がいるよ」と。そして、彼にとっては、むしろ知らない人の方が相談しやすかったのかもしれない。
彼は、高校野球の強豪校で甲子園を目指していた。真っ黒に日焼けした精悍な顔立ちの高校生を私は部屋へと迎え入れた。私は子供達と隣の部屋でテレビを見ていたが、気になって仕方がなかった。最後には
「ありがとうございました」
と言って帰って行った。私は
「頑張ってね」
と月並みな言葉しかかけることができなかった。彼の笑顔が堅かった。夫に聞かなくても相談内容は想像がついた。
その後、夫はこんなことを言った。
「自分は何度も野球をやめたいと思っていたが、大学までやってきた。自分の周りにやめていった仲間も大勢いたし、俺みたいにやめたいと思いながらやり続けた仲間もいる。ただ、やめた人間は口をそろえて『やめなければよかった』と言う。最後までやった人間の中に『あの時やめていればよかった』と言っている人は一人もいない」
私たちの部活と言ったら、「水は飲むな」「うさぎ跳び往復50回」「グランド50周」がまかり通っていた時代。監督の暴力だって親は見て見ぬふりをしてきたはずだ。今では考えられない。あぁ、夫は、苦しい練習に耐えてきたのだな、と私は思った。一方でその経験を誇りにも思っているのだろうな。
さて、私は思った。彼は野球をやめたかったのかもしれない。けど逆に続けよう、と思わせてくれる言葉を求めていたのかもしれない。やめたいならば、夫のような経歴の人間に相談することはなかったのだから。
今では、指導方針も変化し、体罰は厳禁!いろいろなことにトライし、自分が本当にやりたいことを選択し、楽しんでやることが一番だ。続けることにこだわることもないのだ。けれども「おもしろい」「楽しい」だけでなく、ある試練を自ら課すとか、目標を設定し、それに向かって我慢して続けたりすることも大事なことだと思う。だから、のちに人づてに、彼が高校野球をやり切ったと聞き、私はなんだか嬉しかった。心でねぎらいの言葉を贈った。
そして、我が家の長男と次男、甲子園は叶わなかったものの、大学野球までやり通した。彼らの口から「やめたい」と聞いた記憶はない。「続ける」ということも一つの才能であり、後に財産になる、と思っている私は、あきらめの悪い二人にも大きな拍手を送った。