長男が野球を始めた小学校4年生から次男が高校野球を引退するまで苦節14年間、球児の母をした。正確には、2人共大学まで野球をしたのだが、寮生活となり、応援に足を運ぶくらいで、母の仕事は大幅に減った。

 

 高校までは、弁当作り、洗濯など、中には、車での送迎など、子どもが部活をすれば親の仕事はたくさんある。特に野球は道具やユニフォームの数が半端じゃない。アンダーシャツにユニフォーム上下、ソックスはなぜか2足で、スライディングパンツなんてものまである。グローブは数万円もするし、早い話がお金もかかる。

 

 そして、洗濯が大変だ。大体が白物で、洗濯機に入れるだけでは汚れは落ちない。手洗いし、時にはたわしでこする。洗剤のCMで「手洗いなしで真っ白」なんてやっているが、あんなの大ウソだ。そんな洗剤があったら球児の母はこぞって買うはずだ。そしてまた、これらが乾きが悪い。夏場ならまだしも冬場はファンヒーターの前で乾かす。汗をかいては着替えるらしく、同じようなシャツが一日何枚も洗濯籠に放り込まれる。

 

 私が苦手だったのは背番号付けだ。野球の背番号は大会ごとに縫い付ける。ある時、試合の前夜、子どもが寝る時間になっても背番号を付けてなかったら、夫が

「さっさと付けて、ハンガーにかけておくものだ」

と怒った。夫は大学でも野球を続けたバリバリの体育会系人間だ。私だってわかってはいるが、裁縫は大の苦手でついつい後回しの仕事になってしまうのだ。「だったらお父さんが縫ってよ!」の言葉を飲み込んで針を持つ。今なら、その言葉、夫にぶつけられるかも。当時は何だろう……?苦手なことも子どものためなら頑張る母、に酔っていたのか。応援、遠征付き添いなど、我が子だけでなく、よそのお子さんの頑張る姿も見られる楽しさ、その代償だと、自分の使命だと、自分に言い聞かせていたのか。

 

 それからは頑張ったよ。不器用だからしつけをしても曲がってしまったり、真ん中に付けても数字によっては左右どちらかによって見えたりする。「襟からタバコ1本分下がったところに付ける」なんて当時言われたな。今どき「タバコ」はないだろう。で、我が子は二人とも背が高いので背番号がやたら上に付いていて微妙に調節しないと間が抜けて見える。白、グレー、アイボリー、と様々なユニフォームに縫い付けてきたが、何度となく東海大や帝京や国士舘の縦じま模様を羨ましく思ったよ。

 

 でもそれらは、ぜいたくな悩みだ。背番号をもらえなかった時(ベンチに入れなかった時)はなんとも辛い。本人はもっと辛いはずだ。高校時代は毎日相当な数の素振りをし、帰宅は午前様だ。何と言葉をかけいていいのやら……。

 

 背番号は、感謝しつつ、チームの勝利と子どもの活躍を頭に描きながら思いを込めて縫う。そんなことを夫は知っていて(やったことはないはずだが)、私にわかってほしかったのかも。

 

 夫の名誉ために付け加えますが、彼も球児の父として頑張りました!