「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」(織田信長)
「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」(豊臣秀吉)
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」(徳川家康)
私は歴史が苦手だけれど、このくらいの話は知っている。そして、自分だったらその後にどのように続けるのか、考えて絞り出した。
「鳴かぬならそれも良かろうホトトギス」
もう、自分でも大満足な一句だ。鳴かないと頑固なホトトギスがいてもいいし、理由があって鳴けないのかもしれない。障害があるかもしれない。綺麗な声で鳴くだけがホトトギスじゃない。ほかに何か素敵なものを持っているかもしれない。自分自身についても他人や物事についても私はいつもこんな考え方をしている気がする。マイナスにとらえたくはないけれど、「どうにかして物事を、あるいは他人を自分の思うように動かしてみよう」という考えにはちょっと乏しいかもしれないな。
友人が「鳴かぬなら一緒に鳴こうホトトギス」って考えた。彼女は友達思いの優しい性格で、人が大好き。もうピッタリで楽しくて、私はいろんな人にこの提案をしちゃったよ。
アルコール好きな友人は「鳴かぬならまずは一杯ホトトギス」お酒の力は強いよ。場を和ませるから、ホトトギスも気持ちが変わるかも。
「鳴かぬなら聴かせてほしいホトトギス」をくださったのは、ご高齢のお父様が目が不自由になってしまったから、せめて夏の訪れを聞かせてあげたいという親孝行なお友だちです。
そしたらね、この前テレビでやっていた。小学生男子にこの問いかけをしたら、
「鳴かぬなら俺の胸で鳴けホトトギス」
だって。もう、爆笑だったわ。私、できるなら君の胸で鳴(泣)かせてほしい……だからこのリサーチはやめられない。