母はお裁縫が得意だったこともあり、幼稚園や小学校で使う様々な袋類を全部手作りしてくれた。手提げ袋、お弁当箱入れ、集金袋入れ……。出席ノートにカバーがついていたのは私一人だけだった。ワインカラーの生地に動物やお花のフランス刺繍が施されていた。毛筆でクラスと名前が書かれた白い生地が縫い付けてあった。

 

 小学校では、体操着袋も一人だけオリジナルだった。学校指定の文具屋さんに行けば、体操服と一緒に安い値段で買えたのに。白地に刺繍入り、これまた毛筆で厳かに「体育着入れ」と書いてあった。その生地は墨汁がにじむからと、母はチョークを塗ってその上に筆を走らせていた。中学年になると、30センチ物差しやら、リコーダーをランドセルの両端に差し込んで持ち歩く。私の物差しだけは、大事そうにワインカラーの袋に包まれていた。ちょっと恥ずかしいと思ったこともあったけど、今思い起こせば、一時のことだった。

 

 極めつきは、中学時代のこと。その頃、学生カバンと共に、スヌーピーの袋を持つのが女子の間で流行っていた。マチの無い、20センチ四方くらいの赤い手提げ袋にスヌーピーが描かれている。小さな袋だから、何が入るって、ハンカチとティッシュくらいのもの。ちょっとしたオシャレ流行、今でいう「かわいい」だった。

 

 ある時、母にそれが欲しいと言ったら

「そんなの作ってあげる」

と、お店にわざわざ本物を見に行ってまで、作ってくれた。そりゃあ本物と違うけれど、まさしく世界にたった一つのものだ。その私の思い出の品は、今使われることはないが、大切にとってある。

 

 私も母となった。子育ては、両親が基本。(親が私にしてくれたのと同じくらい、子どもにする)愛情のかけ方は様々だから、手作りをしたからと言って、それがそのまま愛情の深さではない。でも裁縫が大嫌いな私が何とか自分で作って形にしてきたよ。忙しかった母が一生懸命作ってくれたことを思い出し、作ったよ。やろうという気持ちさえあれば、どうにかなると分かった。けれど、いつからか、「手作り風」としていろいろなものが安い値段で売られるようになった。私が作るよりとっても上手に丁寧にできている。だから、手作りというのは、その過程を楽しめる人が取り組むものなんだろうな。

 

 購入したミシン、あれから数十年、押し入れの奥で眠ったままになっている。

 

          

              

          思い出のスヌーピーバッグ‼

          これを見て、当時販売されていた本物が

          「あ!あれのことだ!」とわかる方は、

          ある年齢以上だと思いますが笑い泣き