『大阪万国博覧会』いわゆる『万博』それは私が小学校5年生の時のことだった。「人類の進歩と調和」をテーマに大阪吹田市で、半年間行われた。77か国が参加したそうだ。国や地域、国内企業がそれぞれパビリオンと呼ばれる大きな建物の中で、趣向を凝らした展示をする。総入場者数、6,400万人と聞けば、万博を知らない人でもそれがどれだけ大きいイベントだったか少しは分かると思う。
商売を営んでいた我が家は、家族旅行など滅多にできなかった。でも万博は観てみたいと、お盆休み、夏の一番混んでいる時期に大阪に向かった。私は万博そのものよりも家族で出かけられることがとてもうれしかった。
父は、アポロ宇宙船が持ち帰った「月の石」を大変楽しみにしていた。だから私たちは炎天下の中、4時間も並んだ。5歳の妹は何を思っただろう。結果、11歳の私は「これのために何時間も並んだのか……」とがっかりした。その辺で見かけるただの石ころだった。
それより衝撃的だったのは、母が例の頭痛の発作を起こしたことだ。(2~3か月に1回、母はひどい頭痛に悩まされていた)やはりアメリカ館同様、数時間並んだソ連館パビリオンに入るや否や、隅の方で吐いてしまった。すぐに急務室に運ばれた。ベッドで苦しそうに横になる母と、片言の英語で話す父。どうなってしまうのかと心配でならなかった。母はよくなるのだろうか?ここは大阪、それなのに私たち5人だけが海外に連れてこられた気分だった。
当時、私が住む町で外国人を目にすることはめったになかった。たまにすれ違ったりしたときはドキドキした。
「ほら、外人さんだよ」
と母が私の耳元で小声で囁く。私はじろじろ見たい気持ちを抑えて、上目遣いにチラッと見る。すごく大きくて、怖そうだった。そんな人たちに囲まれたのだ。父が
「トースト、ワン」
と言った。そこだけ、私にも理解できた。しばらくして母は良くなった。いつものことだ。ただ、それが私にとっては海外で起こったかのように思われて、普段の数十倍も不安になったということだった。
「外人さんが、レモネードを出してくれたんだよ。それがとてもおいしかった」
母はそのあと何度となく言葉にしていた。
翌日は、なるべく並ばずに観られるパビリオンを選んで回った。そこで父が提案したのは動く歩道で周るパビリオンだった。エスカレーターが平らになった乗り物(?)そのものにも驚いた。今じゃあよく見かけるものだ。人は立ち止まることなくコンベアー式にどんどん運ばれる。パビリオンの中が人でいっぱいでは入場者を制限しなければならないが、これなら早い。三菱未来館だったかなあ?記憶は定かではない。
この大阪万博で思い出に残っているのは、父が身振り手振りを交えながら外国人と意思の疎通を図っていたこと、そして翌日の判断。
「お父ちゃんはやっぱりすごかったな」
