小学5年生、夏休み明けの最初の学級会を私は楽しみにしていた。クラスの係決めがあるからだ。私は(新聞係をやろう)と強く心に決めていた。
その日、学級委員は係を黒板に書き出した。そして
「最初に、いつもの通り立候補を優先にして決めます」
と言った。ところが……どうして今回に限って斉木君はこんな発言をしたのだろう?
「まず、これらの係の中で、要らないものを省いたらいいと思います。例えば、新聞係は1学期にほとんど活動らしいことしなかったし、僕らも特に困ったわけでもないので新聞係は要らないと思います」
ちょっと待ってよーーー。何でそうなるのよーーー。
私は彼の発言が終わる前に手を挙げていた。消極的な私が手を挙げるってこと、珍しいんだから……。
「私は2学期に新聞係になりたいと思っていました。頑張るので、なくさないでください」
するといつも飄々とした感じの武元君が
「どんな風に頑張るの?」
と聞いてきた。(えっ?武さんまでもがそんな発言するの?)私は大きな声で
「1週間に1度の割合で必ず新聞を発行します」
って言ってしまった。
2学期は長い。最初は楽しんでやっていた新聞発行もだんだん億劫になってきた。あんなこと、言わなければよかったと後悔した。もちろん、メンバーは私1人ではなかったけれどね。どの係にも立候補せず、成り手が私しかいなかった新聞係に加わってくれた優しい2人の女子だった。でも何だか、彼女たちに申し訳なくて、時々は
「1人でも大丈夫だから」
って言っちゃった。
私は事務室の常連さんになった。最初にガリ版と鉄筆を借りる。2学期の間、それはずっと私の家の机にあった。週に一度、薄いロウでできた紙みたいなものをもらう。家で一人文章を書く。ガリガリという音と右手に伝わる細かな振動が好きだった。絵は苦手だからもっぱら文章。どんなことを書いたか細かく覚えていないけれど、クラスの様子だったり、学校全体のことだったり、誰かさんのおもしろ話などを紹介した。
最初の頃、字を間違えた時は塗りつぶしていた。けれど、途中で事務室の先生に修正液があることを教えてもらい、見栄えも進歩した。図書館でイラスト本まで借りて、時々は簡単な挿絵も入れてみた。週末に自分の家でその作業をして、月曜日にその大事な原稿を持って登校する。その日の放課後、事務室に行く。
「5年3組ですけど、わら半紙ください」
と言って、大学ノートにクラスと名前、品物と数、用途を書き込む。
階段の踊り場の下にある狭くて暗いスペースで印刷が始まる。1枚ずつローラーを転がして。その日はメンバー全員黒っぽい色の服がお決まりだった。必ずインクを付けちゃうから。インクの付いた手で顔をこすってひげを作り、お互いに大笑いしたこともあった。
職員室から、輪転機の音がリズムよく聞こえる。クラス40人分の便りなんて、あっという間にできるんだろうな。それでもどうにか約束を果たした。私は10歳のころには既に文章で何かを表現することが好きだったんだな。あんなに頑張って印刷したクラス新聞は1枚も手元に残っていなくて悔やまれるけど、『だから綴方』の原点はそこにあったんだ。
あれから半世紀余の歳月を経てブログを始めた私。時間をかけて、たった40人に配った新聞、今では簡単に全世界に配信できるのね。わからないことだらけで、おしゃれ感ゼロの私のブログはちっとも映えてないけれど、1日たった1人のアクセスでさえ胸高鳴る。こんなところに行きついてくださる見ず知らず方がいらっしゃると思うと感慨深い。