最近、時間を見つけては捨て活に励んでいる。と言ってもなかなか進まない。
以前にもコンマリさんの
「ときめくかときめかないか」
で、お洋服の処分をするというお話をブログで書いた。どうも私は理屈っぽいようで、「ときめく」ってのがわからず、自分流の基準を決めた。
はい、さらに決めました。お洋服以外のものについて。
「もし、これをこのままにしたら、誰がこれらの仕事(処分・片付け)をするのか考える。私の場合は夫か子どもらになる。夫は絶対やりそうにないから、子どもら、特に娘になる」
あ、夫か私かどちらが先かわかりませんが……。
そう考えたら、ちょっとはかどってきた‥‥‥気がする。子どもにこれらの仕事をさせたくない。
私にとってなかなか捨てられないのは、子どもらの作品、文集、部活のユニフォーム等々。そこに友人からの手紙なども加わる。でも子どもらにとっては、どうなんだろう?
「あ、おかあさん、自分たちの思い出のこんな品もとっておいてくれたんだ」
と感謝してくれるかな?いやいや、それも量の問題だ。あまりに多ければ、そんな思い出に浸ることなく処分されるかもしれない。
私には3人の子がいる。それぞれに数個以内と決めて、その他は写真に収めて処分することに決めた。(今現在、決めただけです)
そして、あとは、自分がそれを見ることで力をもらえる、と思ったものを数点残しておこうと思った。それは何だろう?ま、あれこれ出しているうちに何か出てくるかな?
そしたら、出てきた!小さな桐箱が‥‥‥。それは「へその緒」だった。もちろん自分の。いつだったか母から手渡された。
それは、中が2つに仕切られていて、1度も開けられた気配のない、白い紙に包まれたもの2つ。1つはへその緒だと思った。それは我が子らのもので目にしているが、何となくグロテスク。だから、そちらは開けなかった。それほど違いはなかろう。私はもう一つの小さな薄っぺらい包みに興味をそそられ、丁寧に広げてみた。
それは産毛だった。なんか茶色っぽくて柔らかそうな髪の毛が数十本?今まで、自分の小さい頃の写真などを見て
「こんな時期もあったなあ」
「私にも可愛い時期があった」
くらいの感情しかわかなかった。それが、なんとも言い表せない思いがわいた。
人それぞれかもしれないが、私にとってそれは、とても愛おしくて、愛おしくて、可愛くて、可愛くて。
へその緒は、実物をじっくり見たこともないし、それは時が経てばすっかり水分が抜け落ち、とてもきれいとは言えない物。対して産毛は、明らかに生まれたときの自分の現物。65年前の私自身が、どこでもドアーでやってきたかのようだ。
これならとっておいても処分は簡単だし、いいのではないか、と思った。捨てないでおこう。さらに、写真を撮ってじっくり眺めていた。
よく見ると「御産毛納」って書いてある
漢字が4文字以上あると、私はよく読まないってことがわかった漢文苦手だったな
あ~ぁ、又こんなことになっちゃって、時間が経っちゃって。断捨離ってなかなか進まないもんだわ。