「ツバサ、おにぎり置いておくからね。ママ、仕事行ってくるね」

 

 部屋からは何の応答もない。静まり返っている。昼夜逆転の生活が想像できたが、純子が仕事から戻るとお皿には何も残っていないから、どこかの時間で翼はそれを口にしているのだろう。それにしてもこの生活はどれだけ続くのだろう。

 

 母の病が発覚してから純子は認定こども園の仕事を手伝うようになった。母はそれから10年ほど頑張った。認定園の仕事が煩雑で、途中で保育園として子リスを存続させた。が、純子が50歳にあと数年というところで母の命は絶たれた。翼が引きこもるようになってから10年が過ぎていた。

 

 母にもっと頼っても良かったのではないか?今となってはその母もいない。なぜあんなに「仕事を持つ母」を避けていたのだろうか?今となっては頼れる母はいない。

 

 純子は園長を継ぎ、できる限りのことをした。まるで、自分の子育てを反省しているかのようだった。子育てには評価も付かないし、やり直しもきかない。でも翼の現状を見て

「これがあなたへの子育ての評定ですよ」

と言われている気になった。

 

 純子は思う。世の中のどんな仕事より、子育てが難しいと。何かの開発、研究、それらに失敗もあるし、頓挫することもある。でもあきらめずにやり続ける心さえあれば、何かしらの成果がでる、もしくは喜びがあると思うのだ。子育てが難しいのは、「待ってくれないヒト」を相手にしなければならないことだと思う。3歳の時に子育てに後悔があったとする。いい方法、試したい事柄、を見出したから、やってみようと思った時には、もうその子はとうに3歳を過ぎている。

 

 自分が翼のことで精いっぱいであっても他の子どもさんや保護者の方と関われたことは純子の人生において大きな意義のある事だった。

 

 こんな自分の経験を生かせる何かを純子は考え始めていた。

 

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