こんにちは。BeBRAVE.Sビーブレイブエスの明正明美(みょうしょうあけみ)です。

 

きょうは、新聞記事にインタビューが載っていた小児科医の河原風子(かわはらふうこ)さんのことをご紹介します。

 

明るい笑顔の女性医師の写真からずずっと下がった左端の<年表>には、「怖いものがなかった」という高校時代の河原さんの写真がありました。金髪に近い茶髪のこわいおねえさんです。8歳で両親が離婚、私立高校に入学するも、担任から「腐ったみかん」と言われる。定時制高校卒業後に派遣の仕事。長女と次女を出産した後、28歳で医学部入学、34歳で医師に。

 

腐ったみかん…教育者の言う言葉ではないはずですが…

河原さんがどんな経緯で医師になったのか、とても気になりました。

 

河原さんのお母さんはとても厳しい人で、過干渉や過度の期待が大きかったそうです。

河原さんはそんなお母さんに反発し、中学時代から深夜徘徊や野宿をしていたとか…

幼少期からぜんそくがあり、荒れた生活のなかでもたびたび救急外来へ行かなければならなかったようです。

そのときに心配してくれた医師との出会いが大きかったようです。

自分がグレようが関係ない立場なのに、本気で怒って向き合おうとする。医者ってすごいなと感じたのです。

でも非行に走り、高校卒業もギリギリの河原さんにとって医者など夢のまた夢です。

 

高校卒業後は真面目に派遣社員として事務仕事をしていた河原さんが、「医者になろう!」と思ったきっかけは出産のときに出会った女性医師です。親身になってくれるその先生に対し、医者って心まで救えるんだと思ったそうです。

 

中学高校と授業をまともに受けていなかったので塾に行くレベルではなく、公文式で中学の数学から始め、午前はコンビニでバイト、午後は勉強、夕方から子どもたちと過ごし、夜に2時間ぐらい勉強という毎日でした。

でも成績の伸びが遅く、最終的には予備校に行きました。

 

勉強会開始から5年、2回目の受験で医学部に合格。学生時代に離婚しシングルマザーに。34歳で医師国家試験に合格。

 

多くの医師は小中学校から成績がよく、進学校に入り、猛烈に勉強して医学部に入って医師となります。

河原さんは日本においてはかなりレアなケースと思われます。(欧米などでは社会人経験の後に医師になる人は決して少なくはないそうです)

 

河原さんは「人が好き」だと言います。「人の中で生きていたい」と言います。

河原さんが心がけているのは、人の良いところをみること。それができるのが賢い人だと。

 

自分の家族より仕事が優先、それが使命と思って、私生活を顧みずに働こうと決めて取り組んできたそうですが、次女のSOSをきっかけに今は家族を大切にする時間も必要だと思っているそうです。

 

最後に、河原さんから、生きづらさを感じている若者へのメッセージをお伝えします。

 

「大人になれば自分の意思で生きられる。自分の場合は医者だったが、それぞれ自分らしく輝ける道がきっとある。自分らしいとは、つらくても”自分と向き合うこと”をやめなかったことが自分にとっては自信につながった。意思と行動力さえあれば、何歳からでも自分らしい人生に変えられる。どうか自分の力を信じて続けて」

 

自分を信じる。これはとても苦しいことです。自分を見限らずにいられるからこそ生きていられるのですが、それはとても苦しいことです。自分を信じられなくなったときは物理的であれ、精神的であれ、自分が死ぬときです。

 

河原さんはこどもたちに生きてほしい、そう願っています。