自分にやさしく、自分をゆるす。
前回は「悩み葛藤できる 『心の器』を 育てよう」でした
禅の言葉に
無事是貴人 (ぶじこれきじん)
というものがあります
ここでの「無事」とは
「どうぞご無事で」とか
「平穏無事」の
「無事」ではありません。
何事も無いこと、ではなく
「何もしないこと」
をさしています。
私たちは
自分の外側に
色んなものを求めがちです。
救いを
幸せを
癒しを
正解を
自分の外側に求め
外側ばかりを見ています。
「こんな素敵な人と出会えたら」
「もっと自分を評価してくれる
会社に出会えたら」
そんな思いで
あちらこちらに
答えを探し回ります。
…って、これはズバリ
30歳くらいまでの
私のことなのですが
その頃の私は
「自分の外側」に
すばらしい正解や幸せが
あるのだと思い込んで、
さまよっていました。
だれもが納得してくれる
「パーフェクな正解」を
見つけるのに必死だったのです。
自分の自信のなさを
埋めるように
「だれもが認めてくれる正解」を
見出そうと、
私は自分の外側の世界に
依存し、振り回され、
しんどくなってばかり
無事是貴人 (ぶじこれきじん)
という禅語に出会ったのは
その頃でした。
「無事是貴人 」とは
「あなたは何もしないで
今のままでいいんですよ。
あなたの中にはすでに
純粋な魂が
あるのです。
それに気づいてください。
他に何かを
求め続けるのではなく、
あなた自身の中の
純粋なあなたに
巡り合ってください。
そうやって
安心を得た人
安らぎの境地を得た人が
『貴人』なのですよ」
という意味です。
私たちは誰もが皆
すでにその内側に
純粋な魂を持っている。
それを思い出し
それに気づく
ことができれば、
外側に求める心がなくなり、
「無事」= そのままで
「貴人」= 仏性・仏
なのです
私の中には
わがままな私
サボり屋の私…
色んな私がいますが、
でも確かに
純粋な素直な私も
いてくれるのだと思うのです。
そう、人間には
だれの中にも
もともとすべてが
備わっているのです。
外に向けて
あれこれ騒ぎ立てなくても、
素敵なものは
すでに自分の中にある。
だから
外側に求めなくても
まず自分の内側に目を向け、
自分の中の
純粋さ
素直さ
素敵さを
ちゃんと見つけてあげる
それに気づいて
丁寧に水をやり
育てていくことで、
外側に左右されたり
ふり回される
危うい幸せではなく、
地に足のついた
幸せ・安らぎを
手に入れることが
できるのだと思うのです。
1日10分でいいので
静かな場所で
1人静かに目を瞑り、
自分の内面を
見つめる時間を
作ってあげてください。
そうやって
内観していくことで、
見逃していた
幸せの芽
安らぎの芽
自分の素敵さ
に気づかれていくことと
思います。
本当に大切なものって
外に求めれば求めるほど、
遠ざかってしまうのかもしれません。
もっと自分を
信じてあげませんか
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
あなたの毎日が
やさしく健やかでありますように