自分にやさしく、自分をゆるす。
でした
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常に「人の中」で生きている私たち。
「人の中」で生きているからこそ
体験できる
喜び、幸せ、があり、
悲しみ、寂しさ、があり、
それらの体験を通して私たちは、
自分を知ったり
社会というものを認識したり
生きるということを哲学したりして
成長・成熟していくのだと思います。
人の中で生きるからこそ
生まれてくるものに、
優越感
劣等感
承認欲求
があります。
どれも
1人で孤島で生きていたら生まれない
のではないでしょうか??
優越感
劣等感
承認欲求
すべて人との比較から
発生するものだからです。
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20代の頃の私は、
何かを選択するとき
「自分が幸せを感じたいのか」
それとも
「人から幸せだと思われたいのか」
その根本的な考え方の区別が
全くできていませんでした。
どちらの考え方を採用するかで、
「自分軸で生きる」か
「他人軸で生きる」か
生き方が正反対になりますよね。
当時の私には、
洋服ひとつ選ぶことから
もっと大きな選択まで、
人に良いと思われたいから
人に認められたいから
という思いが
少なからず根底にあった
ように感じます
それを選択することによって
自分自身が
「喜び、幸せを感じたい」
「納得して満足したい」
という思いも
もちろんありましたが、
「人に認められたい」
「人からいいねと言われたい」
という思いも
たしかにあったよたな…と
ふり返ると感じるのです
書いていてお恥ずかしいのですが
残念ながら
そんなだったのです
当時の私は
自己受容など全くできていなくて、
自信のなさ
欠乏感
自己否定感
などでいっぱいでした。
そんな自分を埋めるように、
まわりの人から
認められる物質、
ネームバリューのあるもの
を必死で手に入れ、
自分が少しでも
素敵に見えるように、
鎧を着るように
外側を固めていた感じがします。
自信のなさや
欠乏感が
まわりの人にバレないように、
ガチガチに武装していたのですね。
そして、人からの
「いいね」「すごいね」
という言葉で
幸せを感じていたように思います。
ただそれは
ほんものの幸せではなく、
人からの承認によってのみ
もたらされる
「虚構の幸せ」でした。
人が認めてくれなければ
幸せを感じられないなんて、
人が幸せを与えてくれるのを
待っている状態です。
私はどれだけ人に
依存していたのでしょう
自分の選択・行動は、
自分が幸せや喜びを感じるから
することなのか
それとも
人から幸せだと思われたいから、
人に羨ましがられたいから、
することなのか
その根本的な違いを
しっかり区別することが
大切ですね
「自分は
欠乏感を満たすために
これを選択していないかな」
「だれかに
認められるためだけに
この選択をしていないかな」
ほんものの幸せや満足感を得るためには、
少し立ち止まって
考えてみることが
必要だと思うのです。
何かを選択するとき、
自分を褒めたり、羨ましがる
だれかの姿を
思い浮かべているようなら、
自分はその人に
心理的に依存している
のかもしれません。
自分の選択が
その人の反応に
影響を受けているからです。
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承認欲求とは、
「人の中」で生きる限り
ゼロにはならないのかもしれません
ただ、
「自分が納得して満足したい」
と
「人に羨ましく思われたい」
は
全く違う正反対のもの
ということを認識するのが
大切だと思うのです。
そこを混同していると、
人に翻弄されるばかりの人生に
なってしまうからです。
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まずは
自分の中にある
欠乏感
劣等感
承認欲求などに気づく。
そしてそれを自覚して
受け容れた上で、
改めて自分の選択を
再検討してみる。
何かを選択するごとに
そうやって丁寧に
自分に問いかけ、
自分と向き合っていくことで、
欠乏感
劣等感
承認欲求などに
ふり回されることは
減ってくるように思います。
自分の内面で起きていることを
ちゃんととらえて
自分軸で生きたいですね
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
あなたの毎日が
やさしく健やかでありますように
幸せな自己実現の専門家
【心理カウンセラー, メンタルコーチ, 家族相談士】
江杉侑記