でした
ユダヤ教の聖典
『タルムード』に
こんなお話があります。
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死を間近に迎えたある男が
病床で
こう言って泣き出した。
「自分はモーゼのように
生きられませんでした。
だから
神の審判が恐ろしいです...」
これを聞いて
その男の指導者が
その男の耳元でこう囁いた。
「モーゼのように生きなかった
からといって、
神はあなたを裁いたりはしません。
もし神が
あなたを裁かれるとしたら、
それは
あなたがあなたらしく
生きなかったからです」
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このお話は私の心に
とても深く響きました
はるか昔の聖典にも
「あなた自身を大切にして
あなたらしく生きなさい」
というメッセージが
載っているのですね。
人間は昔から
自分と人を比較することに
時間を費やし
労を費やし、
「自分以外の何者かにならなければ」と
苦しんでしまう生きもの
だったのかもしれませんね。
・
・
そう、私たちが死を迎え、
神様に会う時、
神様は私たちに
「なぜあなたは
億万長者にならなかったのですか?」
「なぜあなたは
有名にならなかったのですか?」
「なぜあなたは
成功しなかったのですか?」
などと問うことは
ないのでしょうね。
神様が私たちに問うとしたら、
「なぜあなたは
あなたであろうとしなかったのですか?」
「なぜあなたは
あなたを生きなかったのですか?」
そう問われるのだと思います
・
・
私たちにはそれぞれ
自分にしか生きられない人生が
与えられていたはずなのに、
充分過ぎるものが
与えられていたはずなのに、
それを分かろうともせず、
人と比較して
自分を無価値だと感じ、
人を羨んでは
安易に他の誰かになりたがります。
自分だけに与えられている
唯一無二の尊い宝を
自ら捨て去るようなことを
平気でしているのです
「他の誰とも違う
独自性を持つあなたを
せっかく創造したのに、
どうして他の誰かに
なりたがってばかりで、
あなたにしか生きられないあなたを
楽しんでくれなったのですか?」
神様の嘆きが
聞こえてくるようです。
私たちは
「自分以外のもの」に
ならなくていいのです。
いえ、そんなこと
してはいけないのです。
神様が私たちに望む
たった1つのこと。
それは
【自分を生きること】
世界でただ1人の自分を
存分に慈しみ、
味わいながら
生きること。
ダイヤモンドやプラチナは
たくさん採れなくて
稀少であるために、
高値がつきます
でも「あなたという存在」は
稀少どころか、
世界中探しても
たった1人しかいません
過去をどこまで遡っても、
未来永劫も、
あなたという存在は
決していないのです。
今世の、
この時代の、
この瞬間にしか
あなたは存在し得ない。
あなたは神様からしたら
手塩をかけて創造した
「かけがえのない愛おしい我が子」
なのです
そんな代わりのいない
唯一無二の自分を
蔑ろにすることなく、
自分で自分を
わかってあげながら、
精一杯生きていきたいですね。
さいごまで読んでくださって
ありがとうございました
あなたの毎日が
やさしく健やかでありますように
幸せな自己実現の専門家 江杉侑記