この記事の中で引用した



疲れが進行しやすく回復がむずかしい状態。


症状としては

「慢性疲労症候群」

「線維筋痛症」などと

同じように見えるし、

同じなんじゃないか。


そういうツッコミを

電話で喋ってるときに

父からもらいました。





わたしが疲れ果てて

体に力が入らなくなったのは

大学在学中の二十歳のときです。


まだソレに

名前はついてなかったんじゃないかな。


大学生だったから

先生に頼んで論文を探してもらったり

医学部生にわからないところの説明を

ご飯と交換でお願いしたり

話を聞けそうな人にはできる限り

会いに行って話を聞いて


実家から出られなくなるのだけは

避けたくて

自分の体調について

必死になって調べました。


そうこうするうちに

まーじーで!

布団から体を起こすことも

できなくなりました。




「慢性疲労症候群」

「線維筋痛症」

ネットで検索すれば

ちゃんと解説文がヒットします。


名前がついていて

定義もちゃんとあって

あたかも

普通の病気のように

錯覚してしまいそうです。



わたしが知っている

その体調は


家族の気持ちを満たすために

あるいは

仕事の上司の気持ちを満たすために

疲れ果てたケースで


感情や知性、体力

「全てにおいて

絞りカスしか残らなかった」

という感想を

共通して口にしました。



コロナ後遺症が

もし同じ症状だとしたら


感情面での疲労や

考えすぎて脳が疲れたこと、

つまり

知的精神的な疲労は

いったん切り離して考えるのがよい

ということになる。



さて、

体調が悪いときに

頼るのは病院、になるわけですが


事実としては


疲れと

痛みは

検査で数値を

知ることができない。



医学としてはまだ

診断をつける基準が存在しないということ。


疲れに関しては

あくまでも状況を見ての判断になる。



そして基本的に


医師には治療できない。


痛み止めや

眠剤以外の

措置がとれない。


根本的な部分で

医師には

打つ手がない。


これは今に至るまで

どうしようもないようです。


数値をとることができなくても

そこにあるものはあるんだけどね。

理不尽この上ないですよ。






疲れというのは


患者の性格や体力を正確に把握して

それぞれの体力相応な生活というものを

それなりにでも把握して

その把握した事実の中での比較でしか

判断できない。


「普通」から

今の生活がどの程度乖離しているかでしか

今の疲れを判断できない。



本人の在り方は本人が決めるのだとしても


普段の生活の中で

他人との比較は、必要


なんだと思います。


そうじゃないと

普段の生活の中では

まったく歯止めがかからなくなってしまう。




そして


本人の生活改善と

睡眠で

なんとかするしかない。



なんですけどね。


基本は

食事と睡眠のハズなんですよ、本来なら。


ところがね。


疲れと痛みは

自己暗示で麻痺させることが

簡単にできてしまう、


しかも


眠る前だけ自己暗示がとけて

痛みで転げ回るのは

当たり前に起こること。


つまり

眠る、というのが

なかなかできなくなるんです。


体を回復させる睡眠には

体力が必要で

やっと眠れたとしても

質も量も圧倒的に足りないのも

当たり前。


そもそも息が入らなくなるのを

無理やり深呼吸すると

胸が痛くて

そのまま寝込んでしまうし


体調悪化とともに

身体が受け付けないものもできて

調理に手が抜けなくなるのに

ご飯を作る元気か足りない、


疲れすぎると吐き気で食べられないし

消化がつらくて

すぐにくだすようになる、




つまり


回復手段が奪われた上で

回復させなければならない


状態なわけです。


少しずつ回復はしますけれど


どんなに効率をあげたって

長期戦になるのはしかたがない。

そして

たくさん諦めるのは仕方がない。


それは「歳をとると当たり前」の範疇では

ないけれど、

無理解も

周りからの暴力に近い言葉も

本当に、仕方がない。



本来ならば


本人よりも周りの人の方が

的確に判断できます、


ですが


「そんな怖いこと考えたくない」と

ないことにして生活しちゃうんですよ、

他人なら。


なんなら

家族だって

本人だって

そんなに疲れる生活をしてるなんて事実は

ないことにしたいんです。




その状態であがきながら

四半世紀たったのが

今もわたしです。


一応

少しずつ回復はしてます。



自分にとって必要だったことのメモを

いくつかの記事に分けて

まとめたいと思います。


本来ならば

誰の役にも立たないはずです。


誰の役に立たないものであってほしいです。






一番大事なこと。


疲れや痛みで

ナニが起こる可能性があるとしたら


原因は以下のほぼ3つになります。



○事故死


判断力の低下によるもの

もあるんですが


それとは別に


疲れを溜めこんでしまったら

体を動かせなくして体を休ませようとする

本能が

人間にはあります。


行動パターンが

「躁うつ病」とよく似てきますが、

これは鬱ではないの。

本人は死ぬ気が全くなくても

事故に向かって突き進んむ行動が

パターンとしてできてしまう、


これは

意識して

その行動パターンを崩してしまえば

いちおう対処はできる。


理屈の上ではね。




○栄養失調によりうまく機能しないものが

できてしまい、

それを意識せず生活することで

機能不全として定着してしまう。


食事は大事。




○免疫低下による「軽い病気」の悪化


風邪が原因の気管支炎、とかね。





食事を死守して、

自分の行動パターンにそって

生活をルールで決めて、

意識して行動のパターンを決めて、

自分が決めた以外の行動パターンを

崩すことを意識して、

やることとやらないこと

考えることと考えないことなどを

決めてしまえば。


…そんな自分に厳しい生き方を

普通は受け入れられない

という感想をよく聞いた、


選択の余地が

子どもの頃からなかったわたしには

その考え方はよくわからない。


でもだからこそ、


本当に

それ以上、こちら側に来てはダメよ。