明け方に、若さまが

わたしの足に


そ〜っと爪を立てて

ギュッと抱きしめ(?)て

すりっと顔を擦り付けた後

そっと手(?)を離して離して

すりすりと顔を擦り付けて…


とやっていて、


かわゆかったです。


そして

あまりにも眠すぎて

「キュン💕」がしんどかった(笑)


へそてん〜✨





さて。


他人の気持ちや考えというものは

本人以外にはわからない。

他人の納得は他人のもので

本人以外が語るものは

語っている他人のものであって

本人のものではない。

そこに誰かの納得は一切関係がない。


他人について知るとは

どの選択肢から何を選ぶか

という意味以外はないです。


相手の選択肢がわからないなら

理解もへったくれもありません。


世の中の多くの

「他人がわからない」

「こうじゃないとおかしい」

という発言は

思い通りに動かない

という意味であって、

理解とはまったくの別物です。




そして

選択肢を得るには知識が必要で


学校の勉強は

他人が得た選択肢について知ることです。


と、同時に

勉強とは最終的に

他人の知恵を自分のもののように

扱える技能をめざすものです。


つまり


○読めば(聞けば)できる、

という状態と


それから

○他人がつぎ込んだ時間と

それによって得た技能を

適正に評価できる

という状態が


「勉強ができる」の最終形態です。


専門的な資格が得られても得られなくても

学校の勉強が一番つぶしがきくんですよ。



つまり

「頭のいい人は、勉強をほったらかしで

技能が必要な趣味に熱中していた人を

バカにしているにちがいない」

という考え方は

技術や能力が適正に評価されることはない

という事実そのもの、です。


とくに

経営というのは

勉強によって理解する以外にないもの

ですので


技術職の人が

後継を育てるつもりなら

頭のいい人にバカにされるという前提は

必ず否定しなければならない。

そうじゃないと

自分の技術職の将来がなくなる。



と、同時に


「頭のいい人だから

自分たちを見下してないとおかしい」と 

という価値観を共有するということは

決して適正に評価されることを許さない

という縛りに

相手を絡めとることです。



「相手が頭のいい人だと

見下されてないとおかしいと思う」

という感覚は

能力が適正に評価されることが不快すぎて

耐えられない

という主張と同じ内容になります。



この価値観は

"不当に低い評価をしていなければ

職人の数を確保できない"

という文化に行き着きますから、


あなたの好きのために

それは言っちゃダメよ。


となります。




そもそも、


当人の発言内容にかかわらず

こうじゃないとおかしい

と決めつけることは

妄想だけを根拠に相手を罵ったと

いうことですし、



どんな性格気質の人でだからといって

罵る発言をしたなら

罵った事実が残るし

そういう性格気質だと判断されるます。


ダレソレさんに言われたから

ただの罵倒が正当化されるなんて道理は

世の中に存在しません。



相手の発言は

発言された言葉しかありませんから、

もし、それ以外を見つけられないなら

その発言が相手の価値観です。


それに対して

「そんなはずはない」と感じるのは

そう感じた人の勝手な価値観。



"人間とはほにゃららな生き物"という

巷に流れる解説は

中身は赤ん坊のまま

図体だけがデカくなったなら

当てはまるかもしれませんが


人間は後天的に身につけるものの割合が

大きい生き物ですので

いい歳した大人の説明としては

適切なものにはなりません。



「それでは辻褄が合わない」

あるいは

「納得がいかない」

と感じるなら


あなたは今、

現実的な話でなく自分を満たすための結論を

探している

ということです。


知識は

誰かの「困った」を解決できる

レベルでない限り

適正に扱うことはできません。


適正に扱いきれない程度の知識で

「納得できない」のは

自分の願望に沿わない

という意味にしかなりません。



思った反応と違う相手への恐怖を訴える

ということは

自分への気遣い

自分への支援として

存在を消してくれと訴えることと

同じです。



疑うというのは

それなりの事実があるが証拠がない

ということです。

あなたの信条により

見える範囲の内容が事実であるはずがない

というのは

疑っているのではなく

あなたの勝手な想像で

知らないはずのことを事実であるかのように

語っていることになります。


たとえば

善意だけで他人が動くはずがない

という主張は

何が何でも他人を貶す理由がないと許せない

というその人の主義であり、

周りには人間のふりをした猿しかいない

と見下す発言でもあります。





日本語を日常で使う大人であれば

当たり前に理解できる話です。


なので、


プロがここまでに書いたやり方で

他人を貶すなら

収益に相応にダメージを受けます。


相応に、というのは


商品に


正直さ

誠実さ

情報の正確さ

などが含まれる割合だけのダメージ

ということです。


イメージとか

ノリとか

世界観とか

そういうもので売っている人は

ダメージを受けにくいですが


教える立場の人には

深刻なダメージになると思います。




人間は間違える生き物ですから


間違えた後、

なる早で修正できること


が、持てる情報の正確さを保証します。


ですので


これは

わかりやすく


ピンチはチャンス、


なんですよねぇ。




で、上の話がリアルに起きてるときに


ものすごーく具体的に褒めてるのに

だから

事実確認くらいはできたし

共有もできていたのに

頑として「そんな褒められるはずはない」

「あなたはわたしをバカにしてる事実が

ないとおかしい」

と拒絶される反応のオンパレード

だったわけです。



で、無関係ではないと思うよ。


できることをできると言えないことと、

必死になって他人をこき下ろす行為と。




まぁ、なんというか

ハンドメイドが廃れる理由って

明確だと思うのよ。



ハンドメイド人は

もうちょい

自分を適切に肯定することを覚えなよ。


褒め言葉はうけとりな。

自己卑下を判断の根拠にもってくるな。


この二つは最低限、

できるようになろうね。


て、話だと思うんですよ。




どうあるべき、て話ではなくてね。


自分にとって価値のあるものを

価値があるというために

できることはできるとわかってなきゃ

いけないんです。


認識がそうで

その上で

相手を立てるため、など

理由があって

口で否定するだけなら

それは謙遜だけど


たかが謙遜、であって

本気で思うようなことじゃない。


て、話です。





ネットでやられても

スマホを置けばいいだけなので

そこまでのダメージにはならないです、

なので

特に責める意図はないですが


これをリアルでやられたら

こちらの生活は壊れます。

辛いとか、そういうレベルの話ではない。


自分たちがやってることに

最低限の自覚は持ってね。

日常で日本語を使っていたらわかる話だから

参加してしまった人は

そうとう

精神的なダメージを負ったはずだよ。