これまでの人生で心を病んだことが2回ある。



1度目は大学1年の夏から冬にかけて。秋田から東京に出てきて、田舎者とは思われなくてという見栄があって、周りにいた東京生まれの同期に凄まじい対抗心で虚勢を張った。そんな態度に俺は相手にされなくなった。そしてサークル内の同期で孤立した。そんなわけで同期のほぼ誰からも相手にされなくなって当時下落合に住んでいて東西線の落合駅に歩いていって中野の映画館と歩いて高田馬場に行って3本立ての映画館に通いまくった。3本立ての映画ほぼ毎日観ていた。本当くだらな過ぎる映画たくさんあったが今思うと俗に言うB級映画の面白さ、そんな低予算映画の中に自分の映画史上ベストに入る映画にも何本も出会った。



その後サークルの春合宿で、どんなきっかけだったが、誰が間に入ってくれたのか覚えていないが、同期のかなりと普通に話せるようになった。



2度目は、嫌々ながら1年だけだからと説得されて宮城に単身赴任した時でこれは大学時代の比でないほど病んだ。2020年の春、まだコロナ禍の始まる直前だった。赴任してすぐコロナ禍蔓延になって、店とアパートの往復が基本で、そのうちにスーパーやコンビニに寄ることも許された。そして12月24日に父が入院して1月11日に死んだ。当時の秋田県の決め事で県外からの見舞いは出来なかった。結局1回面会出来たが死に目に会えなかった。残ったのは90歳を超えた母1人。当初の約束で3ヶ月したら帰れると思っていて、会議に来た常務に話したら「1年だけなんて聞いていない」と言われた‼️しばらくはなんとかなったが、仕事に対するモチベーションが無くなり、ポツーンと住んでいるアパートとポツーンと暮らしている母のことの中で病んでいった。ある程度はそんな自分を理解してくれていた次長も、次長の思うように働かない自分を許せなくて度々個室に呼ばれて説教を喰らった。



もうその頃にはわかっているのだが会社や上司が望む仕事のパワーは出来なかった。次長のパワハラと思って恨みつつ結局辞表を出した。実家に帰って母の介護をしながら病んでいた。

母を見送って数ヶ月経って、会社を辞めて2年で前いた会社に買い物に行けて同僚にも会えるようになった。

約2年病んだけど、なんとか自分的には世間に出られるようになった。