秋田県の県南部も田植えが盛りである。気温は30℃近くまで上昇しとても春とは思えない暑さだが、田んぼに水が張られ田んぼに面した道にはトラクターや田植え機が走り、落とした泥の団子が散らばっていて春の風情である。
自分が小さかった頃、田植えは一大イベントだった。まだ田植え機が普及しておらず手植えだったので家族、親戚、ご近所総動員での作業だった。うちの家は田んぼを持っていなかったが母の実家はそれなりの田んぼを持っていたので母はこの時季、毎年実家の田植えの手伝いに行っていた。まだ低学年だったので下校時間と田植えのおやつの時間がちょうどで毎日母が田植えをしている田んぼに友達と行っておやつを貰うのが楽しみだった。田植えが終わると「さなぶり」という大宴会があったはずで家族3人で出かけたはずだが記憶が無い。多分、父の考えで子供が大人の宴会にいることを好まなかったのでご飯だけ食べて、その後延々と続く宴会の前に帰らされたんだろうと思う。
ここのところ家でゴロゴロ出来なくなって毎日出掛けるのだが、出来るだけ国道13号を走らないようわざわざ県道、町道、村道の脇道を選んで走っているのだが、どんな道を走っても今でも住んでいると思われる民家としっかり手入れされた田畑がある。店からも郵便局からも車で1時間以上かかる土地に住み続けて田畑を維持し続けている。自分は今ではシャッター通りになってしまったが、かつては繁盛していた街の中心で生まれた子だった。子供の頃の賑やかさは無くなったが、それでも歩いても車でも普段に買い物に不自由したことは無い。そんな環境で過ごして成長した自分には山の隙間のわずかな平地に開拓された集落に住めないと思う。
ただその土地は江戸期であっただろうか、明治期か太平洋戦争後に満州や朝鮮半島、台湾、樺太、千島列島から引き上げてきた人たちが開拓した田畑なのかもしれない。日本列島は山だらけである。そんな山だらけのわずかな平らの土地の木を伐って小山の裾を崩して平坦にし続けてきた先祖伝来の田畑を守り続け、稲苗を植え続け畑に種を蒔き続けている、生活必需品を買うのに1時間以上かかっても維持し続けている農家の方々には尊敬いせずにはいられない。
もう若い世代は不自由な土地を離れ都市部に独立して高齢者が守っている土地で、あとどれぐらい維持出来るか分からないが、自分の田畑を持っていなければならないという平安末期からの思いが日本の山と山に囲まれた田畑に令和になっても残っているんだと思った。



