我が家はかつて食料品と雑貨の店だった。全国的に流通しているグリコやロッテ、のお菓子から地元の和菓子、コカコーラのコーラとファンタ、駄菓子にクジ引きなどもあり、花王やライオンの洗剤類、化粧紙とガサチリ、牛乳とパン、豆腐や玉子、缶詰、ソースの小売までしていた。昭和後期まで日本中至るとこにあった商店だった。

そんなどこにでもある商店だったが、ちょっと特徴があって店を創業した祖母、父の母の代から手作り和菓子を売っていた。餡餅(あんびん)という餅米を搗いて篩にかけた粉を蒸した生地に餡子入れたものと、なると餅とう篩にかけた粉の残りに餡子を詰め笹の葉に乗せ蒸籠で蒸した菓子を毎日作っていた。彼岸の牡丹餅とおはぎ、正月用の餅も請け負っていた。



我が家には夕方に漂う香りがあった。夕方4時ぐらいから父は次の日に使う餡子を練るのが毎日の仕事だった。母親から受け継いだレシピ通りのこし餡を40年以上毎日餡子を練っていた。仕事場の外側に向かっている釜に向かって薪で炊いた大鍋に向かい餡子を練る父の姿と餡子の香りは自分にとって夕方を象徴する風景と香りであった。ただ父が作るのは「こし餡」だった。個人的にはこし餡よりつぶ餡が好きだった。父が作る菓子には不満を持ちつつ食べていた。

父が亡くなって5年が経った。店は市街地の道路拡張事業があり店舗部分を大幅に縮小させなければならなくなり高齢になったこともあり閉めてしまい菓子作りも辞めてしまった。ある日父と酒を飲んでいたら「俺は粒あんが好きだ」って突然ポツリと言った。40年以上母から受け継いだとはいえ好みでは無い毎日こし餡を練っていたと思うとちょっと可笑しかった。そしてやっぱり親子の好みが同じだったことが嬉しかった。

父が亡くなり家の整理をしていたら餡子を練る大鍋や菓子を作るための道具が綺麗に仕舞われていた。もしかすると気分が乗ったらまた菓子作りをしようと思っていたのだろうか。それとも家業を継いでから使い続けてきた道具を捨てることが出来なかったのか。

いまだに夕方になると父が餡子を練る姿と鼻の奥の奥に残る餡子を練る香りを思い出す。おそらく一生忘れることがない父と自分を結ぶ景色であろう。