今日、羽後町にある「旧鈴木家住宅」を観に行った。前々からちょっと気になってはいたが、いかんせん結構辺鄙な場所に建っている。そこ目掛けて行かなければ場所だった。今日は行けそうな所まで行っていたのでちょっと寄り道気分で山の方へ舵を切った。ただ、「旧鈴木家住宅」まで1kmの看板過ぎても見つからない。2回も通り過ぎていた。何故通り過ぎたかといえば、立派な門を目印に探していたからである。鈴木家は佐竹家から名主を命じられていたという。広大な田畑はもちろん、住宅の立地を考えれば広大な山林を持っていたことも想像に難く無い。名主なら名主庄屋門を構え塀に囲まれた広い敷地に建つ住宅を想像していたのだが、なんと普通の住宅に囲まれた、道から10mぐらい奥に建っていた。これでは見落としてしまう。GHQの農地開放で相当の田畑を失ってしまっただろうが本家住宅の敷地まで削られてしまっていたとは。

意外なことだろうが、明治になるまで庶民は家に門を構えることを許されなかった。門を構えられたのは公家と武家に限られていた。例外として公儀や大名家に献金したり借金している名主庄屋と商家に御礼として門構えを許したそうだ。

誰でも自由に門を構えられるようになって150年余り経ったが未だに門のある家は少ないと思う。門がある家なら旧武家屋敷街にだったり、あきらかに元名主、庄屋、肝煎の末裔だったと思われそうな大きい家屋と敷地の家だけぐらいである。今から150年前の縛りの名残りが生き続けているとはなかなか面白いことである。