奥羽本線を秋田方面に進んで行くと下湯沢駅から急に東側に大きく曲がっていく🚃奥羽本線と国道13号線はほぼ平行に走っているとWikipediaには書かれていますが、山形県内や秋田県内もちょこちょこ大きく離れて走っているところがある。

小学校の担任が十文字町の人で「元々の計画では増田に駅を作る予定だったが増田の人達が反対したので十文字に駅が出来た」と話してくれたことがあった。増田は成瀬川と皆瀬川の水運の要地で煙草や生糸の集積地で栄えてきた町で明治38年当時では、まだまだ舟運が物流の中心で余計な物が入ってくるのが嫌だったのでしょう。それで、羽州街道の中継地だった十文字が代替として選ばれたとか。

全国の鉄道史でよくあることで、それまで舟運や馬運で栄えてきた町が鉄道を反対したために、町勢が衰えていってしまったというのをよく聞く。能代市の中心に奥羽本線が引かれず東能代駅に駅が出来たのは能代地域の馬運が反対したためと聞いたことがある。現在では車社会で、国道の流れに沿った街の繁栄になっています。

最近、出来るだけ国道を通らないように車を走るようにしてたら、今まで気づかなかった町並みに遭遇しています。家の間口は広く奥行きもある。こんなところに集落あるんだと思ってたら、近くに大きな川がある。ここはかつて舟運で栄えた地域中継地で栄えた地区や派生した集落だったのだろう。鉄道運送、トラックの陸運も発展してきても、舟運は昭和3〜40年代までは無くてはならない物流だった。それから50年余り経つがそんな名残りが今も残っている。

子供頃の増田は古い家が残っている寂れたところという印象が他地域や地元からさえも思われていた。増田が再注目され始めたのは平成25年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されてから。かつては栄えた街には当たり前の風景だったのでしょうが、高度経済成長期に次々立て替えられた。鉄道と主要国道から離れた増田は再開発から遅れて忘れられた町になってしまった。ただその町が明治大正の風景として再注目される。栄枯盛衰は50年ぐらいではわからないものなのでしょう。