歌舞伎役者は襲名と追善でメシを食っているとある本で読んだことがあります。十三代目團十郎襲名御披露目公演は記憶に新しいし、最近では尾上菊五郎が同時に2人いるという歌舞伎の歴史に残る状態です。歌舞伎座で1か月御披露目公演、その後全国を回ればそれなりの見入りになるのだろう。
新宿末広亭5月中席の昼の部の出番を見ると二つ目の次に入船亭扇橋師匠でトリは柳家小ゑん師匠となっている。名の重さだけなら扇橋と小ゑんは逆である。入船亭扇橋は十代目で7年目の名跡復活である。柳家小ゑんは柳家では二つ目が名乗る名とされ談志師匠が二つ目時代に名乗っていたことで有名な名で、現小ゑん師匠は二つ目昇進から40年真打昇進以降も名乗っている。
談志師匠は著者の中で落語家の名には格があると書いていた。二つ目の名、若手真打の名、そして亭号の看板の名跡がある、志ん朝は志ん生を圓楽は圓生を襲名するべきだし、小さんを破門になっていなければ自分は小さんか馬楽を継ぐべきであろうとしていた。志ん朝師匠はどうして志ん生を継がなかったのだろう。志ん朝師匠が志ん生を継ぐと言っても誰一人異議を言う人はいなかったろう。それどころか志ん朝師匠の志ん生襲名は誰もがの既定路線のはずだったのに。小三治師匠が小さんを継がなかったために小三治は重い名になってしまった。志ん朝は三代目とはいえ志ん朝師匠が大きくした名前。こだわりがあったのか、落語協会分裂騒動のしこりが残ってしまったのか志ん生を襲名をするそぶりもせず若くして鬼籍に入ってしまった。志ん生は50年近い空き名跡になり、志ん朝は二つ目若手真打の名でありながらあまりにも大きくし過ぎて、しばらくは継ぎにくい名になってしまった。
七代目圓生は鳳楽師匠に継がせると五代目圓楽師匠が発表したが、圓窓師匠、円丈師匠が異議を唱え、うやむやに。六代目圓楽師匠は短期間でも圓生を復活させるため襲名を望んだが果たせぬまま鬼籍に入った。圓生ほどの三遊亭宗家とも言える大名跡が40年以上継がれず、落語協会分裂騒動の件もあり、まだまだ難しいのであろう。文治が東西にいたというのも聞いたこともある。いっそのこと菊五郎のように複数の圓生誕生させて、当たり圓生の高座や外れ圓生の高座もあって自然淘汰の末生き残った落語家が七代目を名乗るというのも面白いかもしれない。
昇太師匠は柳昇を襲名しないだろう。二つ目に昇太を名乗って、真打昇進の時柳昇師匠から春風亭の由緒ある名を襲名する事を勧められても昇太で通している。柳昇一門は大所帯で直弟子孫弟子犇めいているだけに手を挙げるのも難しそうだ。春風亭でいえば止め名の柳枝は全く傍系の柳朝師匠の孫弟子が継ぐことになった。落語協会が預かっていて60年以上空いていたことも復活襲名出来る機会になったのだろう。
柳枝、扇橋が復活したがまだまだ空き名跡はある。歌舞伎界に比べ落語界は名跡の襲名に対して積極的ではなさそうだ。空いている期間が長いと所縁のある人が多くなり過ぎて手を挙げにくいのか、重い名を背負いたくないのか。それとも歌舞伎座のキャパは寄席を4、5軒合わせてもキャパはかなり小さい。扇子手拭配って、パーティやったら儲からないからどうか。
志ん生、志ん朝の名跡は上野鈴本演芸場の席亭が預かっているそうで、さほど遠くない未来に復活することもあるかもしれない。橘家円喬、紫檀楼古喜、談州楼燕枝、春錦亭柳桜、蝶花楼馬楽なんて名は復活させてもらいたいと思う。蝶花楼の亭号が復活したので桃花師匠がいずれ馬楽を継ぐかお弟子さんが継ぐか、鶴光とつる子がいいのであれば円喬と円鏡が一緒にいてもいいのではないだろうかと思ったりする。