昨年末から音楽活動を再開しました。
6年ぶりに吹奏楽団に入ったんです。
前に所属していたのとは別の団体です。
なんかものすごーく新鮮で、楽しいんです。
人数は少ないし、編成も足りていないのに。
いや、人数少ないから対人ストレスが少ないとも言えるか。
過去10年以上、客演を頼まれてしょっちゅう出入りしていた楽団なので、私の音楽觀?音楽勘?を理解してくれている安心感はあります。
でも1番違うのは、私自身がリセットされているからかもしれません。
以前のことを思ってみれば…
吹奏楽団は部活の延長線。
やめるのは、会社以外の、社会との接点を失うようで怖いという気持ちはありました。
あとは、自分に不足がないように頑張って埋めるとか、自分の至らなさを別で補うとか、その思考で吹奏楽やってた気がしますね。
無趣味だとダメみたいな軽い脅迫観念とか。
音楽そのものは、もう一生モノで私とは切り離せないんですが、団体に所属するという点ではまた関わり方が違って。
人の役に立たなきゃとか思って、積極的に係の仕事を引き受けたりもしてましたし。
固める反射とモロー反射のせめぎ合いがすごかったw
たぶん、当時の私は、場を回そうとし過ぎてたんですよね。
今ならわかるんですけども。
場の連携がスムーズであることを是として頑張ってたんだと思います。
止まると死ぬとどこかで思っていた前者Bタイプ(回転型)でございます。
回転が止まることを恐れてました。
一旦止まると動かすの大変なんだもん。
(前者Bタイプってなんの話?と思われた方は、この記事の最後にリンクを貼っておきますので、そちらをご覧下さい。)
私が自力で回そうとしなくても、私自身がナチュラル状態であれば自然と場が回り出すんですよね。
吹奏楽団なんだから、嬉々としてサックスを吹いていれば良かったんです。
それで、合わない人とは距離を置けば良かった。
全員と仲良くなんて無理だもの。
そういった意味では、リセット期間を経たのは、回転を止めるのにとても良かったと思います。
活動を再開したのも「送り迎えするからウチおいでよー」って誘ってくれる人が居たからで。
人との関わりで、自然と動き出しました。
また、ゆるゆるとまわり始めて、今まだ慣らし状態です。
ただただやりたいことを声に出し、差し出すだけで、周りが面白がって乗ってくれる。
回すんでなく、回り出す。
この感覚は覚えたいなぁ。
前者後者論って何?
人間はその認知や意識の構造から、2種類に分けられる…というタイプ論。
「不安」にチューニングが合いがちな人へ。
それは性格とか能力ではないかも?