最後の晩餐 ~義父編~ | それでも実家は売れました。 〜施設に入所した親の家の片付けと見守り介護日記〜

それでも実家は売れました。 〜施設に入所した親の家の片付けと見守り介護日記〜

片道6時間の実家に暮らす母を近くに呼び寄せることになったのは、息子の小学校入学の一か月前。ドタバタの引越しから施設入所、物と思い出がいっぱいのまま空き家になった親の家の片付け。たった1人で270kmの道のりを何度も通い、家族の歴史と初めて向き合います。 

昨日母が勢いよく

フルーツを食べたことを書きながら、

6年前に亡くなった

義父のことを思い出しました。

 

母の晩餐話はこちらから ↓

 

 

今日はそのことを少し

 

 

 二世帯住宅で同居していた義父は

リンパの癌を患っていました。

 

既に医療と介護

両方を必要とする段階でしたが、

 

入院を希望する大学病院は

ベットが満床でなかなか

受け入れてもらえず

 

訪問医療と訪問介護の両方を

利用しながら

自宅で過ごしていました。

 

 

 

私はまだ息子が入園前で

目が離せず

義母はもう

料理ができなくなっていたので、

 

日々の買物、食事の用意、

掃除、入浴介助は

ヘルパーさんに依頼

 

 

義父も病状の悪化に伴い

次第に食が細くなり

「一人で食事をすること」も

「トイレに行くこと」も

難しくなっていきました。

 

この二つが一人でできなくなると

同居する家族の負担は

急激に大きくなります。

 

この時義父は、

一日のほとんどを横になって過ごし、

言葉を発することも少なくなっていました。

 

 

訪問看護師さんにも

「これ以上は

自宅では難しいかも、、」

と言われ、

「少し医療の力を借りましょう」

と入院を掛け合ってもらいました。

 

 

急遽決まった入院の日の朝、

主人は仕事が休めなかったので

私がストレッチャー付の

介護タクシーで病院まで

付き添うことになりました。

 

ベビーカーの息子も一緒です。

 

前夜も22時頃まで

最後のヘルパーさんが

来られていたので

 

入院の準備もほとんどできておらず、

朝5時に目覚ましをセットして

義父のベットをのぞきに行きました。

 

 、、と、いないんです。

 

ベットに誰も!

 

 

横には義母が畳に布団を敷いて

ぐっすり眠っています。

 

 

 どこ行った?!歩けないのに!

 

 

見回すと

キッチンの横にある

ダイニングテーブルに

座っている義父の姿が!!

 

 

  「どうしたんですか?

    どうやってここまできたんですか?

 

 

義父 「のどが渇いてなぁ~」

 

 

もう一人で歩けないはずなのに
何故か歩いてきたらしい。

 

 

  「うきちゃん、

    お母さんはどうしてる?

    富山は寒いから大変やな。

    今年も雪は降っとるんか」

 

 

この時、ちなみに7月です (笑)

 

 

  「大丈夫ですよ、

    元気にしてます」

   「それよりか何か飲まれますか?」

 

 

義父 「あんまり甘くないやつ頼む」

 

 

  「あ、はい」

 

 

ストローなしでオレンジジュース

一気飲みです。

 

 

義父 「おなかもすいたな~

    何かあるかな」

 

 

冷蔵庫の中には

前日にヘルパーさんが買ってくれた

デザートがありました。

 

 

  「プリンかゼリーがありますが」

 

 

義父 「2コとも食べるわ」

 

丸々一気食いです。

怖いっちゅーの (-_-;)

 

 

食べながら、

義父 「うきちゃんには

    色々と世話になったなぁ~

    ばあさんもボケかけとるからな

    この家で信じられるのは

    うきちゃんだけや

    ありがとさん、ありがとさん」

 

プリンとゼリーを

飲み込むように食べながら

饒舌にしゃべりはります。


 

 こんな風に書くと、

私がえらく良い嫁で

仲良しみたいですが、

そんなことは全くなく(笑)

 

 

義父からこんなことを言われたのも

後にも先にもこの時だけでした。

 

 

なんせ義父と正面から

向き合い始めたのは

介護が必要になってからで、

 

それまでは、

 

「仕事ばっかりして家に全然おらん!」

 

とか

 

「旅行ばっかり行って、

いつまでたっても孫の一人も生まん!」

(息子が生まれるまでの12年間は

針のムシロでした~)

 

とか義父は私に内緒で

母に電話して文句を言っていたそうです

※後から知る( ̄▽ ̄)

 

 

なので、私は驚きすぎて、

何も返せませんでした。

 

 2個共食べ終わると

 

「食べたらトイレ行きたなったわ

うきちゃん、連れてってくれるか」

 

 

この時、

前夜にヘルパーさんがつけてくれた

長時間用のおむつとパットを

ガッチリ履いてたので

トイレに行く必要もなかったのですが

 

「トイレですね」

 

と手を貸すと、

5歩くらいひょいひょいと歩いて

その後ガタっと畳の上に崩れ落ちました。

 

慌てて主人を起こして

助けてもらいベットまで運びます。

 

 

当日、即入院となり、

義父は入院後点滴のみの絶飲食

私は義父の声という声を

二度と聞くことはできませんでした。

 

 

ただ、

あの朝の義父との短い時間は

それまで15年近く続いていた

 

舅とヨメのぎこちない関係を

一瞬で消し去ってくれたことは

間違いありません。

 

今となっても不思議なキセキでした。

自分のスタイルを決して崩さず、

ハワイの海でも革靴履いてはりました~^^;

 

*****************

 

ちなみに一番先に亡くなった

私の父とも最後にこんな話ができて

好きなものを食べさせてあげれたら

良かったけど、

それは叶いませんでした。

 

ま、それは

『喋れなくても通じあってたから』 

ってことで  ^^

 

13年も経つと少しづつそう思えるようです。

 

 

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