『少し 落ち着かれましたか?』 | それでも実家は売れました。 〜施設に入所した親の家の片付けと見守り介護日記〜

それでも実家は売れました。 〜施設に入所した親の家の片付けと見守り介護日記〜

片道6時間の実家に暮らす母を近くに呼び寄せることになったのは、息子の小学校入学の一か月前。ドタバタの引越しから施設入所、物と思い出がいっぱいのまま空き家になった親の家の片付け。たった1人で270kmの道のりを何度も通い、家族の歴史と初めて向き合います。 

 

 「少し落ち着かれましたか?」

 

 

最近そんなふうに、

声をかけていただくことがあります。

 

 

「落ち着いたのか」ときかれたら

母が亡くなってからは

それまでの日々より

ずっと落ち着いている気がします。

 

 

 スマホを枕元に置いて

 ビクビク寝る習慣がなくなった

 

 

 で、ソファーの上にうっかり

 置き忘れて出かけても、平気になった

 (迷惑な不携帯おばちゃん w)

 

 

 イライラして

 ケンカばかりしていた旦那とも

 フツーに話せるようになった(笑)

 

 

 毎日通う場所がなくなった。

 

、、、まるで失業した気分

 

 

 

時間はあるはずなのに

手続きが必要な書類の山と

母の施設から戻ってきた荷物で

部屋は散らかり放題で

 

わかっちゃいるけど、

急いでやろうという気にも全くならない

 

 

 「あんたはいつまでも

 らっしょもないことばっかりして〜」

 *らっしょもない=みっともない、

  乱雑な(飛騨地方の方言)

 

 

写真の母から

そろそろ怒られそうだ

 

怒ってくれたらいいのにね (笑)

 

 

 

父が亡くなった13年前の八月、

私は葬儀の後、実家に残り

各名義変更や役所・相続の手続きを

二週間でほぼ完ぺきに終わらせました。

 

そして、その二週間は

それまでの人生の中で、

一番泣いた二週間で

 

100日たったら涙が枯れると聞いてたけど、

いつまでもいつまでも涙が出てきました。

 

 

その時のことを思うと

今は落ち着いています。

 

 

なぜだろう、、

ただサボってるだけか ^^;

 

 

 

いるのが当たり前だった人が

目の前からいなくなるのは

とてつもなく寂しいです。

 

 

デパ地下で

母の大好物を見つけた後

「もういらないんだ、、」と思ったり

 

荷物の中から

母の書いた震えるよな字を見つけると

涙があふれてきそうになるけど

 

 

父が亡くなった時と大きく違うのは、

私自身が10才の男の子の母親に

なっていること

 

 

母親業に、休みはない

 

 

 

母が90年間休まず

私を育て続けてくれたように、

 

私も毎日ゴハンを作り、

洗濯をして

宿題の丸つけもしないといけない

 

 

 

父を亡くした13年前に

たくさんの方からかけてもらった

言葉があります。

 

 

 「(残された)お母さんを大切にね」

 

 

私は母を大切にできたのだろうか、、

 

 

 

「あの時、なぜあんなふうに 

言ってしまったんだろう」

 

 

「あの時、なぜもっと

長いこと話を聞いてあげなかったんだろう」

 

 

「あの時、なぜ一緒に美味しいものを

食べに行ってあげなかったんだろう」

 

 

後悔がないなんてありえない。

 

 

でも、多分

「親の介護」ってそういうものなのだと思う

 

なぜなら、子がどんなに思っても

親が子を思う気持ちには勝てないから

 

 

 

母は、強く

 

最期まで

 

 「年老いていくということ」

 「死んでいくということ」

 「最後まで生き抜いていくということ」

 

を身をもって私に教えてくれました。

 

 

 

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あの時 「肥えるやろ」 なんて気にせずに

もっと大好きなみたらし団子食べといたらよかったね

 

  

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