【著者とのコラボ記事】



■パルテノンの葛藤-企業の破壊と創造、経営改革の結末
amazon:https://www.amazon.co.jp/dp/4909566848/

本書「パルテノンの葛藤」は、パナソニック全社再編で直面した衝撃の体験が背景になっています。

少し昔の話をさせていただきます。

1971年に松下電器入社、中央研究所に勤務。3年目に開発プロの事業化の話が急浮上、松下通信への転勤候補の一人に。要は、最早研究テーマではない、早く成果を出せとの追い出しでした。

部長面接では、「皆でぜひ横浜に行きましょう、これから伴侶を見つけるので仲人も」と依頼。前向きな言葉は意外と驚かれました。

とはいえ、1974年の春、松下通信に向かう新幹線車内では、自分に事業化への貢献が出来るだろうかと不安で一杯に。当時の新横浜駅前にはほとんど建物はなく、新横浜ホテルがポツリと目立っているのが印象的でかなり心細くなりました。

松下通信への転勤のその日、私は組合事務所に挨拶に。麻雀仲間でもある中研支部委員長から助言を受けていたからでした。通信支部書記長から、歓迎の言葉と職場のまとめ役にと言われました。理解出来ないながらこれが組合との長い関りの始まりでした。

事業部では、皆さん生き生きと仕事をされていました。技術部門のレベルが高いことはすぐわかりました。事業部長も技術部長も温かい人柄で安心しました。ほどなくして松下通信に転勤して良かったと確信を持てるようになりました。

そして4年後、部全体の他事業部への移籍話が出てきました。私は事業部を離れ組合専従に、移籍した仲間の仕事は新しい事業部で花開きました。日本のみでなく世界に展開したマクドナルドのPOSシステムがその代表的成果になりました。

組合、経営企画、技術本部、パナソニックシステムソリューションズを経て、55歳の時に早期退職して横浜関内で起業。まずまずの業績で、70歳で横浜市泉区に終の棲家を建て転居しました。

この年、心臓を痛め僧帽弁手術、さらに心不全で長期入院。事業縮小を余儀なくされ、関内事務所を閉鎖して自宅でのリモート事業に切替えました。しかし結果的にはコロナ禍でもそのまま都合よく事業継続可能となりました。

多くの皆様のご支援のおかげで、20年間の事業でのパナソニックの監視カメラの累計販売は5万台を超えることが出来ました。

心不全で生死をさ迷ったので今の人生はおまけのようなもの。残りの人生は、少し愉快に、少し味わい深く、あせらず、おごらず、したたかに過ごそうと達観。
これからは執筆をメインにして事業はそろそろ引退をと目論んでいます。人は自分が思うほど注目されてはいないもの、だから挑戦は続けたいもの。

「パルテノンの葛藤」は、70歳を越してから初めて執筆に挑戦し、コロナ禍で書き上げた企業小説です。松下グループの全社再編に関わり、携帯電話ムーバPで一世風靡した松下通信の突然の消滅に直面しました。その衝撃的な出来事の体験が小説の背景となりました。

「2003年1月1日をもって浪速通信は実質的に消滅しました。年明けの出社で全社員は自身が所属するドメイン会社に移りドメイン会社間の交流はほぼなくなりました。モバイルやカーエレの動きはほとんど掴めなくなりました。拠点研究所や北京研究所、YRPへの対応は・・・」
「パルテノンの葛藤」は、横浜・大阪が舞台の衝撃的な新版企業小説です。

原田修二

■パルテノンの葛藤-企業の破壊と創造、経営改革の結末
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楽天:https://books.rakuten.co.jp/rb/17744074/