【著者とのコラボ記事】



■苦痛による人類進化論-自然体で生きる
大上泰弘

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<SDGs時代に問われる「私」の強度>
--- 明暗を分けるもの ----

昨年は、日本も世界も観測史上最高の気温を記録した。
山火事で避難する人、熱中症で死亡する人が増加し、「地球温暖化」ではなく「地球沸騰」の時代を実感しました。

現世人類は、自分達が行ってきた活動の帰結として地球環境が破壊されつつある現状を見つめ直し、Sustainable Development Goals (SDGs) という目標を作りました。
詳細目標が設定されており「あなたは何を為すのですか」との問いかけがありますが、ん・・・、私は少し違和感を感じているのです。

その違和感は何なんだろうと探ってみた結果、日本と欧米における「私」の強度の差異ということが浮かんできたので、少しばかり述べたいと思います。

・「家族の一員としてのあなた」vs「独立した個人としてのあなた」
日本では、お互いを氏、つまり家族の名称で呼び合うことが多い。一方、欧米では、個人に与えられた first name (名) で呼び合う。

・「私は・・・する」vs「私は・・・したい」
日本語では、食卓にある飲み物を飲みたいと思った時、「これ飲んでいい?」と「私」を省略して言う。一方、英語では "Can I drink this ? " と必ず「私」が入る。

・「みんなで・・・しなさい」vs「あなたは・・・しなさい」
日本の家屋では、居住空間を壁で区切らず、取っ払えば一つの部屋になる「ふすま」で区切る。兄弟姉妹は一つの部屋を「お互い譲り合って使いなさい」と言われた。一方、欧米の居住空間は、壁とドアで完全に区切られた部屋からなり、子供のころから独立心を育てる場を与える。

これは私の著書の基軸なのですが、人類社会は快感を追求し、苦痛を避ける方向に発展してきました。

快感を追及するのは匿名の第三者ではなく「私」です。
上記のように、この「私 (意志、私空間) を大事にせよ」とことさらに強調したのが欧米社会ではないかと思います。

生物は、霊長類やイルカなど特殊な動物以外は「私」を意識しません。
人類社会もあらゆる社会が同程度に「私」を意識しているとは言えないと感じます。

その点で日本は、「みんな」、「家族」が中心の社会を作ってきたのではないでしょうか。
その裏返しとして、「人権」「プライバシー」の概念は発達しませんでした。

そんな背景のある中、今日の日本社会では、何かと「・・・がグローバル・スタンダードだ」、「欧米では・・・だ」という言い回しが出てきます。
グローバル化の中心は欧米社会が大事にしてきた「私」を最大化する方向 Self Development Goals を向いており、皆の共有物である地球を維持していくという目標と相反すると思うんです。

生物進化の歴史において、ほんの一瞬しか占めていない人類、いや「私」は、そんなに頼りになるものではありません。
ここは LED ライトをふんだんにつける生活ではなく、ロウソクで薄明りを得る生活を通じて、明かりをありがたいものだと思える社会を作る方向に向くべきではないかなぁ。

大上泰弘

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