【著者とのコラボ記事】



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ことばのないえほん-A book without words
亀屋モナカ (著)・鶴田あんこ (イラスト)・花見月しょうこ (翻訳)

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亀屋モナカです。
この寒い中皆さんは如何お過ごしだろうか。

コラムの2回目3回目は鶴田先生で続いたので、今回は僕が担当させていただく。
とはいえ何を書けばいいか少し悩んだ。
せっかく読んでいただくには、それ相応の”得”が読者さまにないと面白くないので、
皆さんが恐らくご存知ないであろうテーマと、僕自身について少しだけ書く。

皆さんは小説はお読みになりますか。
こちらは出版社のブログページですから、本を読む方が多いでしょう。
では、何故小説は”小さい説”と書くのかという理由はご存知だろうか?
文学をこよなく愛し惚れ込んでいる僕でも、かなり最近知った話で、語源なんて考えたことさえなかった。

“小説”この言葉は、元々は中国の言葉である。
大説というものもある、これは政治や国家をテーマをもってして書いたものだそうだ。
むかしむかしはこれが教育の中心であったらしい。
四書五経という文書がこれにあたるようだ、調べたが一生のうちに読めないだろうなと思った。
…嘘だ。物書きを目指す者ならば、全部読めなくてもいつかあらすじくらいは拝読させてもらおう。
対して小説は、日常やフィクション虚構の物語と言った“無価値で役に立たない”ものであるという考えらしい。
無価値で役立たずなので、“小さい”と貶したのだ。
これはナントカ時代とかの古い考え方であり、今では全くもって違う価値観であるだろう。

実際に、大人の方から趣味は?と訊かれ、僕が読書ですと答えると、それはいいねなどとポジティブな反応をされる。
多分、知識が身に付く良いものだ、という認識なのだろう。
現代では、ゲームやスマホなどで遊ぶ小学生などが問題視されている。
目が悪くなったり、ネットに依存したり、そういうところが問題点なのだろう。
しかし大説と小説のように、学びのジャンルや遊びの種類は、階級に分けたりランク付けできたりするものではない。
それぞれを自分にどう取り入れられるか、何が好きなのか、バランスはどう取ればいいのか考える糧であって、争い、文句を言い合う種ではないはずだ。
少なくとも僕はそう感じた。
今良いとされ、讃えられているものも過去では逆の立場にいて、小馬鹿にされていたかもしれない。
もしかしたら、ゲーム内やVRの中で生活するのが当たり前になり、リアルの世界に行くものたちを嘲笑する日も来るのかもしれない。
僕は嫌だ。VRは楽しそうだし、現実世界の素晴らしさも体感したい。
小説についてや現代社会の思うことについて、少しでもくるくる考えられるテーマだっただろうか。
ご友人に話してみたくはなっただろうか。
あなたのためになっていたら嬉しい。

最後にちょっとだけ、自分のことも書いておきます。
ここまで読んだのに、書いた人のことが何もわからないなんてね、嫌でしょう。
亀屋モナカです。
鶴田先生のコラムを読んでくださった方はご存知でしょう、僕は彼女の娘です。
14歳です、春から中3に進学するので少し色々焦っています。
この間読んだのは、歌野晶午先生の「葉桜の季節に君を想うと言うこと」。感激しました。
VRはまだ経験がないですが、リズムゲームならやります。俗に言う音ゲーですね。
山の中に住んでます。最近は、指先の感度が無くなるくらいに寒いですね。

皆さんもお身体には気をつけてください。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
また覗いてみてください。
このような機会を与えてくださったことにも感謝です。
あなたの心が穏やかでありますように

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