IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり | 木島亭年代記

木島亭年代記

東北在住。
最近は映画も見てなきゃ本も読んでない。
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そもそも,「It」を初めて知ったのは近所のビデオレンタルショップのホラーコーナーで、あれはまだ小学生のころだったか。ホラー映画を見るなんてのはもちろん、見ようと思ったことさえなかった。TVで放送していた「13日の金曜日」の予告を間違ってちょっと見てしまい、悪夢にうなされるようなレベルだった。とはいえ、ビデオコーナーには普通にホラー映画が並んでいたし、アダルト映画のコーナーと違い明確な隔離はなくて、何を借りようか悩んでふらふらしてパッと横を見たらホラーのコーナーだったということは日常茶飯事だった。その間違ってみてしまった棚の中でも最も恐ろしい印象を与えた作品の一つが「IT」だった。もちろん、当時レンタルショップに並んでいたのは、映画版ではなくTV映画版の「IT」であったわけで、今日見た映画版ではない。無数にあったオドロオドロしいパッケージ中には、不気味な人形が写ってるものから、顔が焼けただれた怪人が写ってるもの、女性が血まみれになっているものと強烈なインパクトを残すものがたくさんあった。けれども、その中でただ白塗りの赤い鼻のおっさんが写ってるジャケットに抜きんでた恐怖を覚えたのはなぜだろう。当時実際にピエロというものを見たことはなかったはずだ。ピエロが感情の読み取れない、言葉が通じないように見えるから恐怖症になるというような話も聞くが、正直ピントは来ない。

 

さて、映画だが、TV版を見たのは20歳を過ぎてからだ。そもそもホラーを積極的にみるようになったのは20代になってからで十代のころはほとんど見ていない。だいたい怖いのが好きじゃない。TVのちょっとした短編ホラーも好んで見たことはなかったし、ワイドショーの心霊特集も見るのは好きではなかった。恐怖という感情は、結局ネガティブなものだし、それを積極に享受したいとは思わなかったからだ(殺人ミステリーは割と見てたけど)。転機はたぶん映画秘宝あたり読むようになってからだろうか。原作もS・キングだしいっちょ見てやるかと思ってTV映画版を見たのだが、これが結構怖かった。やはり恐怖の中心はピエロだ。ピエロが何かおかしなことをするだけで怖い。その一方クリーチャーが出てくると急に恐怖が薄まった。ばかばかしいと思ったのかもしれないし、撮影が大掛かりだなとか生意気なことを思ったからかもしれない。映画は恐怖の部分以外には物語が好きな内容で、「スタンドバイミー」や「グーニーズ」を見た時のように楽しんだ。

 

それから10年以上たって映画版が制作され、私は会社の先輩(この人も小さいときにトラウマになっていた)を連れ立って見に行った。演出や役者の演技など見どころが多く、物語もしっかりしていた(と思う。いかんせん最近は見た映画の内容を端から忘れていっている)。ただ、ピエロが全然怖くなかった。CGを駆使した恐怖演出は正直全く乗れず、子供たちが抱える日常の恐怖をIt=ペニーワイズが増幅させて彼らを襲うわけだが、物語としての裏付けがされていることは理解できても、登場人物と一緒に恐れることはなかった。

 

そしてその続編である、「THE END」。デリーという町に登場人物たちが置き忘れていった「幼少期の恐怖」を清算する物語なのはもちろんTV版と同じである。ちなみにい忘れていたが原作は最初の1巻の4分の1しか読んでいない。中学生の時に意気揚々と借りたはいいが読書自体に慣れていなかったので全然進まず途中であきらめたのだ。登場人物たちが置き忘れてきたもの。

 

ビル・デンブロウ:小説家・脚本家。少年団ルーザーズクラブのリーダー的存在。作品は非常に評価されているがあらゆる読者(妻を含む)に「結末がだめだ」と言われ続ける。幼少期のトラウマである「弟を見殺しにしてしまった」という過去が影響しているのだろう。前作で彼はそのトラウマを克服したように見えたが、実際のところ、彼はあの時、弟ジョージーを一人で船遊びに行かせたことに関して一つのやましいことがあり、そこを清算できていなかった。

 

ベバリー・マーシュ:ファッション業界で成功した。ルーザーズクラブの紅一点。DV父親に散々な目にあって、前作では父親と対決し、そこから抜け出して決着を受けたように思われたが、父親が残した呪縛は彼女から完全に切り離されていなかった。結婚した夫がまたDV型の束縛男で暴力を使って妻を服従させるタイプだ。父と似た男性を選んでしまうということ自体が彼女の中で清算しきれていない呪縛といえるだろう。

 

リッチー・トージア:人気コメディアン。スタンダップコメディのスターだ。彼はある秘密を抱えており、それはトラウマと関係している。ゲームセンターで、仲良くなりそうだった少年とのやり取りで仄めかされる。

 

マイク・ハンロン:一人だけ町に残った人物。差別意識の強い田舎町で、黒人であること理由にひどく傷つけられた彼は、幼少期にいつかフロリダに行きたいと言っていたが、現実には27年間デリーから出ることはできず、そこでペニーワイズに関する研究に、もしくは街自体の研究に束縛される。彼は彼自身のトラウマというより街そのものに縛られていた。
 
ベン・ハンスコム:成功した実業家。幼少期は太っていてよくいじめられていたが大人になった彼は立派な体系と仕事を持ち成功者となっていた。彼にあったのはトラウマというより、一つの終わることのない恐怖。それは孤独であることだ。どんなに成功してもどんなに努力しても彼は孤独のままだった。それはデリーに置き忘れたほろ苦い思い出、ベバリーへの恋心のせいだった。幼少期の孤独な彼に差し出された彼女の手は彼には救いだったし、その彼女がある勘違いをしてビルへ思いを寄せているのを感づいて傷つく。

 

エディ・カスプブラク:危機管理のスペシャリスト。コンサルタントとして成功してるものの、幼少期のトラウマともいえる過保護すぎる母親(人並外れて太っていて、人並外れて五月蠅い)から逃れることができておらず、母親は死んでも、奥さんが同じタイプの女性であった。潔癖症で、小心者。前作では最後に勇気を振り絞り、トラウマを克服できたが、その後舞い戻ってしまった。

 

スタンリー・ユリス:ユダヤ教の神父の息子であり、厳しい教育を受けて育った彼は、会計士として成功したが、デリーに戻ることなく自らの命を絶ってしまう。彼は自らの恐怖心と向かいうことができないまま。

 

作品は3時間弱と結構長いのだが、正直言って掘り下げが微妙で、大人になった彼らの生活があまり描かれないせいもあり、前作ほどの深みは感じられなかった。また、ホラー描写も前回に増してクリーチャー描写が多く、それもまた集中力をそがれた。最近はVODで連続ドラマが流行しているのでそちらでじっくり描いた方が良かったのではと思ってしまった。悪くはないのだけれども刺さるところが少ない映画で、ちょっとがっかりしたのが本音だ。

 

社会全体に蔓延している恐怖の本質は各々が抱えた不安やコンプレックス、うしろめたさなどそういったものの集合体であり、それに打ち勝つためには各人が自分の弱さと向き合ってそれを克服するしかない。それが大人になるということだ。そう映画は言っているように見えた。とはいえ、本当に大人になることって結構難しいし、多くは恐怖や不安をだましだましやりすごし、表面上だけ立派な大人になって、ろくでもない人生をやり過ごしている。正しく立派にやるっていうことはとてもきつく難しいものだ。