コロナ禍で大きく世の中が変化
しているといわれています。
ですから、
今までとは違うことを考え、
実践していくことが大切です。
そこで今回は、
千利休から、「人と違うことをやれ」
と教えられ、
それをみごとに実践し、
豊臣秀吉や徳川家康に仕えた
茶人の古田織部をご紹介します。
古田織部は「織部焼」を生み出した、
茶人です。
人と違うことをどのように実践したか
といいますと、
あえて砕いた茶器をつなぎ合わせて、
そこに芸術性を見い出しています。
他には、
中国では失敗作とされる陶器の表面に
塗る釉薬(ゆうやく)が流れる濃淡に、
美しさを見出しました。
織部は、陶器の一枚一枚の色に変化を
付けて、同じ濃淡の陶器を作りませんでした。
陶器の形も一見すると奇妙に変形したり
して、そこに芸術性を見出しました。
当時の茶人たちもこの織部焼に喝采し、
日本の茶道に一大ムーブメントを巻き
起こしました。
古田織部は、無秩序に陶器を作って
いたわけではなく、
師匠である利休の手法をベースとして
残していました。
その上で、自由で独立の精神を
いかんなく発揮した作品に仕上げた
のです。
多くの弟子の中で、織部にだけ
「人と違うことをやれ」と諭したのは、
利休が織部に弟子として絶大な
信頼があったからでしょう
。
こうした優れた茶人であった織部ですが、
茶人になったのは40歳だったそうです。
また、意外なことに織部は、
はじめは茶の湯が大嫌いだった
という記録が残っているそうです。
しかし、利休亡き後、利休に代わって、
茶道の第一人者として秀吉や家康に
使えたのでした。
話しを、経営に戻しますと、
この様な古田織部の生き方から、
経営に関して大いに学べることが
あると思います。
私が一番凄いと思いましたのは、
単に、人と違うことをやったので
はなく、
師匠の利休をベースにして、
そこから違いを生み出して
いった点です。
やはり、「人との違い」を打ち出す
にも、
単に従来のものを否定するのではなく、
従来のものをベースにしながらも、
他の考え方をとり入れたり、
ある一部分を壊してから
作りあげていくことによって、
違いに秩序を見出すことが
できるのだと思います。
あえて砕いた茶器をつなぎ合わせて、
元の形に戻し、
そこに芸術性を見い出したのも、
そこには、従来の伝統と矛盾しない
意味があるからでしょう。
従来の伝統がベースになく、
たんに茶器を砕いてつなぎ
合わせて元の形にしても、
当時の茶人たちには受け入れて
もらえなかったのではないでしょうか。
私は千利休から「人と違うことをやれ」
と言われ、実践した古田織部の話しから、
自分の経営を変化させていくのにも、
単に従来のやり方を否定するのではなく、
過去においても、未来においても
通用する普遍的なものを見つけ出し、
その普遍的なものをベースにして、
従来とは違うことをとり入れることで、
そこにはより深い意味合いが生まれ、
世の中に受け入れられていくのでは
ないかと考えさせられました。
















