子供の頃から、不器用だった。
幼稚園の頃から友達をつくるのが苦手だった。いっしょに遊びたくないわけではなかった。みんなと同じように、すばしっこく走り回って、上手にゲームを楽しんで、みんなに人気があって・・・という風になりたいとは思っていたのだけど、運動神経が鈍いのか、機転が利かないのか、どうもうまくいかなくって、いつも幼稚園の他の子たちからとり残されていた。
自分の中にはっきり残っている一番古い記憶は幼稚園の教室の窓から外を駆け回っている他の子たちをながめている場面だ。なんで僕だけこの教室の中にいるのかな?なんで僕はあの子たちの中に入っていけないの?そう思って悲しかったのを、すりガラス越しに見た曇り空みたいに、ばんやりと憶えている。
数年前に実家に帰ったとき、幼稚園の時の出席カードが押し入れから出てきた。母が捨てられずにとっておいたものだ。見ると、半分も幼稚園に行っていない。厳しい大学だったら留年してしまう。なにかと言えば熱を出したり、幼稚園には行きたくないと騒いだり、幼稚園に行かせるのは母にとってもひと苦労だったみたいだ。なるほど、これじゃみんなと馴染みようもないか。自分が休んでいる間も、みんなは毎日遊んで仲良くしてるんだもの。知らないところで、世の中は日々動いているのだ。そのときはそのことに気がつかなかった。
自意識が強すぎるのか。自信がないのか。いっしょに遊ぼうと近所の子を誘う事がどうしてもできなかった。これも記憶があやふやだが、母に説得されて泣きながら「○○ちゃん、あそぼー」と、隣の子の玄関の前で必死に大声を出したのをおぼえている。これは今もあまり変わらないかな。結婚する前、好きな女の子に電話をするのには、えい、うん、と、いつも1時間も2時間も電話の前で唸ったものだ。
ものの趣向も一風変わっていたような気がする。粘土細工や紙細工が大好きだったのだけど、ある日幼稚園でみんなで粘土工作をしていたときのことだ。なにを作ってるのかなー?と訊いてきた幼稚園の先生に向かって僕が答えたのは・・・。
「肺」
はい?
いや、実は恐竜を作っていたのだ。でも、形が恐竜なだけではイヤだった。生きていくには肺が必要だ。胃も、小腸も、大腸も、肝臓も・・・。幼稚園児の頃から生物オタクだった僕は、恐竜を作る前に、まず内臓を用意しようと計画したわけだ。でも、これは大失敗に終わった。工作の時間は意外と短かったのだ。工作の時間の終わった時、僕の机の前には恐竜の脳みそ、肺、胃、小腸、大腸、肝臓などの臓物が、恐竜に収納される事なく、無惨に散乱していた・・・・。
実は明日妻が入院します。あさって帝王切開なんです。なぜ帝王切開かというと、骨盤位、つまるところ、さかごなんです。現在骨盤位は分娩時のリスクが高いという統計学的証明がなされ、経膣分娩はあまりやらないんだそうです。10年ちょっと前、僕が国家試験の勉強をしてた時はそうは習わなかった。そのかわり「8の字法」とかいう娩出方法を習ったり、骨盤位と頭位の時の胎児の動き方とか、そんなのを習いました。たった10年だけど、医学知識はどんどん変わるなあ。
僕が専門にしてる膠原病の世界だって、10年前とは全然違います。僕が医者になった頃のリウマチの患者さんは、みんなあちこちの関節がメチャメチャになっている人が多くて、本当にかわいそうでした。でも最近は、数年前に抗TNF療法という新世代の治療法が出現した事と、メソトレキセート少量経口パルス療法というのが普及したおかげで、急速にリウマチの患者さんの未来は明るくなってきました。それ以外の膠原病でも、考えてみれば昔は思いもつかなかったような治療をたくさんやってるものなあ。
時代遅れな医者にならないようにしなければ。そんなわけで躁状態で頭の回転がいいときは、極力勉強するようにしています。笑える程の勢いで勉強がはかどります。これはこの病気の得なところかもしれないな。