(親子三代四国八十八箇所参りで、高知の足摺岬に来ていて、電波の届かない範囲にあり、更新が遅くなりました。ごめんなさい。お参りの様子、また明日以降に報告しますね。)


ここ数日は、阪神淡路大震災の記事だったので、過去の記事を続けました。でも、その間にもいろいろな事がありました。


先週木曜日は、長男の卒園式でした。


長男も、もう6歳になったんですねー。こどもの成長を見ていると、自分が歳をとるのは本当に速い。なおさら、脳外科医とボランティアで忙しくしていると、月日の経つのはあっという間です。


往診先の96歳のおばあちゃんは、こういいます。「40才までの倍の速さで80才まで来ますよー。若い頃の20年が年をとってからの40年くらいの感じですよ。1年経つのは、速い、速い。」先人の言うことは、本当に正しいですよね。


それから、先週土曜日は、AMDA兵庫の総会がありました。そして、一旦今までのAMDA兵庫を解散することになり、新たな出発を模索することになりました。その経緯を説明しますね。


昨年、AMDAは、国連の総合協議資格を取得したことを報告いたしました。(その記事はこちら


そして、この4月から、AMDA本部の組織改革として、世界の地震やその他の災害への緊急医療救援をする部門と、ネパールこども病院などをはじめとする腰を据えた息の長い医療ボランティア部門とを分けることとなったそうです。


その組織改革の中で、AMDA本部と県支部との連携を強化する目的で、県支部組織の改変について、この半年余り、相談が持たれました。


今まで、AMDA兵庫は、会員、会計、その他で、ある意味、独立した組織でした。だから、会費や寄付も別会計で、独自の方針で、AMDAネパールこども病院の支援や、在日の外国人の医療通訳支援、そして国内への医療支援としてクリニクラウンの支援などを続けてきました。


ですから、AMDA兵庫の会員であってもAMDAの会員では無いという状況も生まれていたわけで、その整合性を話し合ってきました。


その相談の中で、このAMDA兵庫を巣立って新たな旅立ちに立たれる方や、AMDA兵庫県支部として新たな組織の立ち上げに関わって行きたい人、さまざまな意見がありました。


実際、AMDA兵庫のM代表は、茨城県立こども病院の小児外科部長として、この4月から赴任されることになり、AMDA兵庫から巣立つことを選ばれました。


僕の選択は、「どんな形であれ、AMDAネパールこども病院を支えていくことに変わりは無い」という方向です。ですから、県支部などの新たな「ネパールこども病院を支援する会」を創って支援していく、ということです。


僕のボランティアの基本的な考え方は、「ボランティアはそれを享受する人のためにある」ということ。


AMDA兵庫であろうが、AMDA兵庫県支部であろうが、現地で医療を受けるこどもたち、女性たちのためになるのなら、形にはこだわりがありません。


また、もう一つは、「ボランティアは、継続が大切である」ということ。


厳しい言い方ですが、一時期支援をしてそれを継続しないのなら、それは最初からやらない方がましだと思います。


ですから、心を同じくする人を集めて、新たに「ネパールこども病院を支援する会」を立ち上げます。相談の結果、それがAMDA兵庫県支部という形が良ければ、その形で行きたいと思います。


新しい旅立ちの季節ですね。忙しさに、また輪をかけて忙しくなりそうですが、精一杯頑張っていきます。生かされた命を、精一杯に。


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