きれいな発音をする練習に意味がない理由 | 英語学習雑感ブログ

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高校1年生レベルの理解力

 

 

かつて、チャットGPTが登場した頃、やたら数を増やしていた、携帯電話の発する音をできるだけ似せて発音し、似ている度合いで、英語力を診断するという信じられないソフトが、現在では全く影を潜めてしまっています。

 

このような練習には意味がないのです。

 

(1)

発音がきちんとできなくとも、ほとんど完璧に近い形で聞き取ることができる、ノンネイティブスピーカーは極めて多い。

 

英語を母語にしない人は、かなり酷い発音をしていても、聞き取りには支障がないのが普通です。

国際的に科学を話し合う場面で、お互いに酷い発音をする、英語を母語にしない科学者はごく普通の存在です。もし、そのコミュニケーションに、きれいな発音をすることが不可欠であるというのであれば、彼らのような科学者はいったい何をやっているか分からないです。

発音が酷くても、相手が述べた英語が(それ自体が、発音がきれいなものでもみにくいものでも)、本人が語句を復元できる能力があれば、実用になるのです。

日本だけ、なぜか、きちんと発音できないときちんと聞き取りができないなどと頭ごなしに押しつける英語教師が多いです。

マハトマ・ガンディも、後のネルー首相とは異なり、酷い発音をしていましたが、コミュニケーションはほとんど支障がありませんでした。彼の酷い発音は、残っている彼の音声や映像記録から確認することができます。

 

 

(2)

大切なのは、相手が発言した英語を、きれいな発音で再現することではなく、必要な語句を、それに関連する語句を連想できる能力である。

 

実際に、そのことを確かめる役割も、言い換えによってできるようになっているのが英語であると言えます。相手のいった英語を、似ているようなあるいは似ていないような発音で繰り返しても、相手は、どうにも対処できないのですが、言い換えをすることによって確認ができるのです。

 

簡単な例を挙げましょう、exitには「出口」という意味がありますが、イグジットと発音したり、エクシット(この「イ」や「エ」はどちらかというと「イ」と「エ」の中間の音に近いのです)。

これらのどちらの発音に近い発音ができるかを争うよりも、

From where can we go out?

「どこから外に出られますか」

などと言い換えると、exitの近い発音を一生懸命練習するよりも、発展性のある英語の学習ができるのです。

 

シャドウウィングなどという用語があり、相手の発音をその影みたいに、続けてこちらが発音する方法が日本ではやたら勧められていますが、こんなことよりも、他の表現方法で伝わる方法がないのか、というように考える方が、より生きた語彙ができ、自分の発音のコンプレックスに悩まされることも少なくなります。

 

世界に通用しない、きれいに音を再現するという練習は、世界に通用しない英語を習得するのが得意な日本人が一生懸命行うことです。

 

ちなみに、ガンディも、発音の酷い国際的に活躍する科学者たちも、この能力を習得したし、またしているのです。

 

 

(3)

きれいな発音をする練習は、イギリス英語とアメリカ英語という全く異なる発音体系が存在する状態では、あまり意味がありません。

 

Herbという単語は、イギリス英語では「ハーブ」とHをサイレントにしないのですが、アメリカ英語では「アーブ」とHをサイレントにします。(アメリカ英語にはサイレントにしない発音も正式な発音となっていますが、これは少数派のようです)

このこともおそらく関係しているのでしょうが、S&B食品は、S&H食品と名付けなかったようです。

商品の箱を見ればspice and herbと説明があり、S&Hとしてしまうと、アメリカ英語式には「Sあんど(音なし)」になってしまいますから。

 

普段から、英語辞書を引く習慣を付けている方は、イギリス英語とアメリカ英語といかに音が異なるかが分かるはずです。

 

前回、悪口を書いた、ネイティブスピーカーでも難しいRの音が入っているということを強調していたアメリカ人。

イギリス英語ではRの音が入っていないことが多いのです。

アメリカ英語が、英語のスタンダードという傲慢な発想もあるのでしょう。

 

助動詞のcanもアメリカ英語では「クン」に聞こえますが(平叙文では「キャン」に聞こえず疑問文でとりあえず「キャン」に聞こえるだけです)、イギリス英語では「カン」に聞こえ、can’tもアメリカ英語では「キャーント」に聞こえますが、イギリス英語では「カーント」と聞こえます。

 

このような事情があるので、イギリス英語かアメリカ英語に特化した上で、どちらかの発音を極めるというのは、極めて不毛な非効率な方法なのです。

 

現在は、辞書が電子化され、イギリス英語のところをクリックすれば、イギリス英語の発音が、アメリカ英語のところをクリックすれば、アメリカ英語の発音が簡単に確認できます。

それを、日本では、アメリカ英語かイギリス英語(だいたいはアメリカ英語の方が多いですが)の一方だけが録音されたCDが配布されるという、時代遅れのことが相変わらずなされています。

しかも、なぜか、紙の辞書が電子辞書よりも良いので、そちらを勧める英語教師が日本では多いです。

 

 

予備校や塾、あるいは普通の高校などで行われている発音練習。こんなものは無駄以外の何ものでもないのです。前者は余分に料金を取る口実にされ、後者は、きちんとした内容を教えないことの口実にされるのがほぼ常です。

このようなことを止めない限り、日本の英語教育の超低レベル状態は、一向に改善しないでしょう。