役に立たない文型論 (4) | 英語学習雑感ブログ

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高校3年生レベルの理解力

 

 

文型論がたくさんの実害をもたらす例として、次のようなものをあげることができます。

 

次の2つの文は、受け身にできるでしょうか?

She arrived at Tokyo Station.

 

I slept in his house last night.

 

 

それでは次の2つの文は、受け身にできるでしょうか。

People have never arrived at any understanding.

 

Nobody slept in his bed last night.

 

実はどちらも同じ動詞と前置詞の組み合わせで、答えは同じで、できない、とお答えになった人がほとんどではないでしょうか。

 

実は

She arrived at Tokyo Station.

は受け身にすることはできず、

People have never arrived at any understanding.

は受け身にすることができ、

No understanding has never been arrived at.

とすることができるのです。

同じように、

I slept in his house last night.

は受け身にすることができず、

Nobody slept in his bed last night.

は受け身にすることができ、

His bed was not slept in by anybody.

とすることができるのです。

 

 

She arrived at Tokyo Station.では、

SVMということになって、受け身にするためには目的語が必要なので、目的語がないこの文では受け身を作れません。

People have never arrive at any understanding.では、

arrive atが群動詞と見ることができて、これの目的語がany understandingで、目的語があるので、とりあえず受け身を作ることができるのです。

 

I slept in his house last night.では、

SVMということになって、受け身にするためには最低限でも目的語が必要なので、目的語がないこの文では受け身を作れません。

Nobody slept in his bed last night.では、

sleep inを群動詞と見ることができ、これの目的語がhis bedで、目的語があるので、とりあえず受け身を作ることができるのです。

 

 

このブログで既に述べたことですが(詳しくは該当箇所を参照してください)、動詞の直後に前置詞句が来ている場合は、受け身を作ることができないと決めつけてはいけなくて、前置詞とセットの群動詞と見立てたときに、その群動詞の影響を受けていると判断できる場合には、受け身を作ることができるのです。

 

She arrived at Tokyo Station.では、彼女のarrive atで、東京駅が影響を受けているとは考えることができないので(彼女がゴジラのような大怪獣で、彼女の東京駅到着が壊滅的打撃を与える場合はないとすれば)、群動詞で受け身ありと解釈するわけにはいかないのです。

それに対して

People have never arrive at any understanding.では、

人々のarrive atによって、何らかの理解がこの世に生じているという影響が見てとることができるので、群動詞と解釈した上で受け身ありと解釈できるのです。

 

sleep inに関しては、皆さんで確認をとってみてください。

ちなみにシャーロックホームズの話の中で、人が寝た痕跡があるということで、頻繁に使われています。しかもほとんどすべてが受け身で使われています。ご確認ください。

 

つまり、文型論に立ってしまうと、前置詞以下をCまたはMのいずれかに解釈してしまうのですが、現実には群動詞があって、これらの文型を考えるように促されることは、全くあり得ないので、英語学習の初期の段階で、前置詞が付いている句が動詞の直後にある場合には、SVOやSVOOやSVOCにはなり得ないと、偏見が植え付けられることになってしまうのです。

 

それよりは、意味をきちんと考えて、群動詞と見なすと、SがOに影響を及ぼすと判断できる場合は受け身が作れ、そうでない場合は、受け身を作ることができないと理解することの方が、遙かに生産的であると思います。

 

 

文型論は役に立つという教条を振りかざすバカに付き合うと、貴重な時間を無駄にするだけでなく、学習の出発点で、とんでもない誤解・迷路にはまってしまうことになるのです。

このようなことが起こらないということを、文型論を支持する人で、説明している人を私は知りません。