早大法学部2022年I問題文解説 (3) | 英語学習雑感ブログ

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第3パラグラフ

    Middle school starts to bring out the racial segregation of even the most utopian integrated schools. The white kids were your school friends, never your home friends. You took the advanced math classes together but you would not be on the lake with them over the weekend. We took that as normal. When we were together, politely sociable in classrooms and hallways. I learned what was beautiful. By high school, I knew that I was not it.

 

 

第1文Middle school starts to bring out the racial segregation of even the most utopian integrated schools.

この文はMiddle schoolがS、starts to bring outがV、the racialから文末までがOという構造になっています。

Middle schoolは、中高一貫の学校を指すことができるのですが、第2パラグラフでhigh schoolという表現をしていることを踏まえれば、ここでは「中学校」で意味をとっても大丈夫でしょう。

さらに、この文だけで意味を取ろうとせずに、この文が「より具体的にはどのような疑問を喚起するのか」という疑問を喚起する文と思って、その疑問を解消してくれるのが第2文以降であると解釈すると、この文をうまく理解できます。実際にこの文を読んだ段階で細部まで明快な意味を把握することができる人は、英語を母語とする人でも一人もいないと思います(これも訳読が、ほんとうの英語の読み方に反する読み方であると私が指摘する理由の一つになっています)。したがって、ここでも、第2文以下の情報をフィードバックしてから、この文の意味を考えることにします。

 

第2文 The white kids were your school friends, never your home friends.

この文はthe white kidsがS、wereがV、your school friendsとyour home friendsがneverによって組み合わされCとなっています。B never Aでnever A but Bと同じです。

「白人の生徒は学校での友達にはなるが、自宅での友人になることは決してなかった」。

 

第3文 You took the advanced math classes together but you would not be on the lake with them over the weekend.

この文はbutを挟んで重文構造を作っています。

togetherでwith themの意味で使っていることはbutの後ろのwith themから簡単にわかります。

「白人の生徒と一緒に上級数学の授業をとっても、週末に、彼らと一緒に、湖畔で過ごすことはなかったであろう」。

butの前でschool friendsはあっても、butの後ろで、home friendsはなかったであろうと推測していることが分かります。

 

第4文 We took that as normal.

この文の構造はかんたんです。

「我々はそのような状況を普通であるとみなしていた」。

これでracial segregationが、学校では白人と友だちになるが、自宅では白人とは決して友達にならないという考え方が、人種隔離のように機能していたことがわかってきます。

 

第5文 When we were together, politely sociable in classrooms and hallways, I learned what was beautiful.

この文の構造もかんたんです。この文のtogetherもwith them (= the white kids)の意味で使っていることが分かります。

「我々が、教室や廊下において、一緒にいて、儀礼的に社交的である時、私は何が素晴らしい(美しい)かがわかったのである」。

 

第6文 By high school, I knew that I was not it.

この文の構造もかんたんです。it = what was beautifulであることは簡単にわかります。

「高校に入るまでに、私は、自分が素晴らしい(美しい)存在ではないということをわかっていたのである」。

 

ここまで読めば、第1文の意味は細部まで明確になりました。その意味を述べるならば、

「中学校は、どんなに理想郷的に人種が統合されている学校でさえも、人種隔離が特徴として引き出され始めるのである」。

中学になると、黒人が白人の同級生を自宅に友達として呼ぶことがない、そして逆も真なりということで、結果的に人種隔離が特徴として成り立つようになり始めるということであることが分かりました。

そして、そのことがわかれば、母親が、自分の子供達に、白人を接触させないようにしていたので、筆者の、子供時代には、白人の価値観をまざまざと見せつけられることがないという状況にあったことが分かります。

しかし、高校になって、白人と同じ授業を取るようになって、白人の価値観をまざまざと見せつけられることが起こるのが、第2パラグラフで述べられている体験であることも分かります。

このようなことがわかるので、第1パラグラフのsocial worldは「社会的世界」と訳語を貼り付けても全く不毛であったことがわかるのです。

 

 

ここで第3パラグラフは終了です。