久しぶりにちょっとした砂漠期に入っているようなので、この間に、これまで書くと言いながらそのままになっている演技について、書いていこうと思う。
まずはEchoesの『ピアノコレクション』について取り上げる。
何か懐かしい気さえする。今更と思われるかもしれないけれど、これは私にとっては軽く書ける話題ではなかったので、タイムリーでは無いことは承知の上で、書くことにした。
多分、膨大になると思うので、宜しくお付き合い下さい。
これについて書くには、まずちょっとした音楽史から始めたい。確か羽生選手も清塚さんから、音楽史のレクチャーを少し受けたとのことだったと記憶している。
と言うわけで、もの凄く久しぶりに音楽史の本を開いた!とても面白かった、、、。個々の作曲家についてはよく調べるけれど、音楽史の流れを中心に考えるのは本当に久しぶり(汗)。
学生の時、試験の為に読んでいた筈なのだけれど、こんなに面白かったっけ?試験の為と興味を持って読むのとでは、こんなに違うんだな、と改めて。
参考にしたのは、グラウト著『西洋音楽史』の下巻。もしかすると今回は作曲家紹介だけで終わってしまうかもしれない。
さて、ピアノコレクションに取り上げられている作曲家を時代順に並べてみると、
バッハ、スカルラッティ、ショパン、ブラームスという順番になる。
音楽史順に追ってざっと見ていこう。(演技の順とは異なる。)
まず、バッハ。バロック音楽の集大成とも言うべき巨人だ。65年の生涯に、膨大な数の作品を遺している。私の持っているグラウトの本の下巻は古典派以降のものなので、バッハについては音楽辞書を参考にしたのだが、その《主な》作品紹介だけで実に4ページを費やしている。
ヨーロッパでは、音楽はいつもイタリア、フランス、ドイツ等でそれぞれ異なる特徴、発展の仕方をするのだが、バロック音楽も例外ではない。
ごくざっくり言うと、それら異なる特徴を持つその時代の音楽様式をを集大成したのが、このバッハの作品だと言えるだろうと思う。
そして即興演奏の大家でもあった。
この時代、音楽は教会と貴族のものだった。
バッハも教会や宮廷専属の音楽家として、様々な所を転々としている。そしてその雇い主から求められる作品を書かねばならないので、物凄い数になる。教会音楽、カンタータ、協奏曲や宮廷楽団の為の作品、等々。
それら全ての分野で、彼は膨大な数の素晴らしい作品を残してくれている。
彼は雇い主と度々ぶつかり、結果度々所属先を変えることになっている。
教会では、ラテン語の授業を受け持たされたり、礼拝で演奏する作品が革新的すぎると規制されたり、聖歌隊の訓練をサボっていると非難されたり、、、。
宮廷でも雇い主が音楽嫌いのお相手と結婚したり、給料面で折り合いがつかなかったり、なかなか大変だったようだ。
一方彼のクラヴィーアの為の作品は、主に子弟などのために書かれており、この点で他の作品とは作曲の目的が異なっている。
それでいて、この分野でもバッハの作品は、現代においても輝かしいものになっている。
ピアノコレクションで取り上げられている作品もその一つで、世に言う《平均律クラヴィーア曲集》の中の一曲だ。《平均律クラヴィーア曲集》は、現代のピアニストにとっても、絶対避けて通れない、大変重要な作品である。後世シューマンも『この作品を日々の糧にすれば、きっと優れた音楽家になれるだろう。』と若い音楽達に助言している。
ところで、少し脇に逸れるのだが、このバッハが一時期忘れ去られようとしていたことがある。
ロマン派の時代に入る頃、音楽はそれまでの教会や宮廷貴族のものから、一般大衆を対象にしたものへと変わっていった。音楽の内容も、難しい論理や技法を持つものから離れて、わかりやすいものを要求されるようになってゆく。
それ以前でも、バッハは正当に評価されていたとは言い難かった。(モーツァルトやベートーベン等は、バッハに相応しい評価をしていたようだけれど。)
この時代、過去の作曲家や作品に目を向けるということがあまりなかったらしい。
光が当たるのは、その時の流行の音楽だったということだろう。
そして時代の波の中で、バッハの作品は埋もれてしまう。
そのバッハに再び光を当て、正当な評価をもたらした一つのきっかけが、メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の演奏会だった。
今日私達がバッハの作品に触れることが出来るのは、メンデルスゾーンのおかげだと言えなくもないのだ。現代の我々音楽に携わるものや愛好家からすれば、この巨大な才能が埋もれてしまうということは想像し難いが、世の中というのはそういう側面があるのだということを忘れてはならないと思う。
恐らく、時代によって葬り去られてしまった天才たちも、いたに違いない。
次はスカルラッティ。
手元の『音楽史』で著作者グラウトは、『18世紀イタリアの主な鍵盤音楽作曲家であり、音楽史上最も独創的な天才のひとり』と述べている。
スカルラッティの鍵盤音楽はハープシコードの為に書かれているが、現代ではピアノで演奏される方が圧倒的に多いだろう。そこがまた、難しいところだと思う。
ハープシコードの真似をして弾く、というような馬鹿げたことではないが、それでいて独特の音色やテクニックを要求される。
またグラウトは、『スカルラッティにとってのハープシコードはショパンにとってのピアノと同じで、その楽器のあらゆる陰影、技法のすべての可能性を引き出している。
そして生気あるリズム、自由な音の組み合わせや和声を持っており、《印象主義的》とさえ呼べるような独自の世界を切り開いた。』と書いている。
初期の古典派の時代であることを思うと、彼の才能が如何に天才的で独創的であったか、驚かざるを得ない。
今回のこの作品も、勿論ハープシコードの為に書かれている。
彼はポルトガル王に仕えていたが、生徒であったポルトガル王女とスペイン王子との結婚を機にスペインに移り、死ぬまでスペイン宮廷に仕え、550曲のソナタの大部分をそこで作曲した。
さて、ショパンである。
スカルラッティからショパンの間には、音楽史的には古典派の時代が挟まっている。
ここにモーツァルトもベートーベンもいる訳だが、その流れの先にショパンがいる。
彼はピアノのための作曲家であり、ピアノは彼のための楽器だった。
この時代には、聴衆はすでに一般大衆に移行している。
彼はコンサート・ピアニストでもあったが、人を圧倒するような劇場型の演奏家ではなかった。
《しかし彼の総ての作品は、演奏家に対して、完璧なタッチと技術ばかりでなく、想像力に溢れたペダルの使用と、テンポ・ルバートをよく考えて用いることも要求する。》と、グラウトは書いている。テンポ・ルバートとは、テンポをごく僅かに揺らすことで、これは今回の中で言うとバラード第1番に顕著に見られる。
そしてこのショパン作品における《ペダルの使用方法》と《テンポ・ルバート》は本当に難しい。達者に弾けるピアニストでも、これが見事に出来る人はそう多くないと思う。
バラードについてはもう周知のことだと思うので、エチュードについて。
これは、『ピアノ音楽の歴史における重要な一里塚である。』
『技術面での非常に難しい練習曲であると同時に、非常に密度の高い音詩である。』とグラウトは書いている。
この音詩という訳は、ちょっとわかりにくい気がするが、要するに音楽による詩である、ということで、『詩』とは本当に言い得て妙だと思う。
練習曲だから、一つの曲は技術上の、特定の技法の獲得を目標としており、また、ただ一つの音楽的モティーフから出来ている。
ジェフによる振り付けと羽生選手の演技が、この点をしっかり理解して為されていることに注目したい。
やっとブラームスに辿り着いた(笑)
ショパンがロマン派の初期の作曲家で、ブラームスがその約20年後の作曲家だと聞くと、意外に思う方もあるかもしれない。
ブラームスは、『ロマン派の和声の豊富さと情緒的の暖かさを持っているが、その語法は本質的に、ロマン派的というよりは古典派的な根本理念に支配されている』とグラウトは書いている。
ピアノ作品については、そこを物足りなく感じる人もあるだろう。
(現にグラウトはブラームスのピアノ作品については、あまり高い評価を与えていない。でも私は彼に異議を唱えたい。だって、あの素晴らしいピアノ協奏曲があるではないか!)
しかし、まさにそこが、私がブラームスを大好きな理由なのだ。古典派的語法があったからこそ、彼の室内楽、そして交響曲はあのように素晴らしいものになり得たのだから。
ロマン派の多くの作曲家達は、殆どこの分野ーー室内楽と交響曲ーーでめぼしい作品を残していない。ごく一部の作曲家だけだ。この分野においては、確固たる様式と技術が要求されるからだ。
この時代の室内楽と交響曲において、ブラームスは、その内容と数で他の追随を許さない。
ブラームスの作曲技法には、演奏する度圧倒される。とり分け交響曲では、スコアを全部頭に入れておかなければ、ちゃんとした演奏が出来ない。
とても緻密に作られているからだ。
それでいてそこにある暖かさや悲しみ。
複雑な色合い。
ブラームスの音楽は内省的で、複雑で、哲学的だと感じる。
演奏する度、難しいけれど、ああ、好きだなぁ、、
と思う。
話が逸れた。
ある意味、ブラームスは時代に迎合することなく、確固たる技術と哲学をもって作曲した人だと思う。その姿は、私の中で羽生選手と重なる所がある。
やはり今回は作曲家だけで終わってしまった((笑)
次回は実際の演技を、音楽とともに見ていきたい。